◆「言いたいことを探し疲れて結局無駄口吐いてばかり/どうせわたしの人生 語呂合わせなんだもん/どうして価値に理由を付けてポーズを執らされているのかな/だって淀んだ水が薫るピアノなんだもん」(椎名林檎「弁解ドビュッシー」『勝訴ストリップ』)。
◆「カウントダウンTV」のケミストリーのライブ。いかついほうが耳からぶら下げているサングラスの揺れ具合で占いをしているので、つい見てしまうが、なんと、今日はサングラスがぶら下がっていなかった。つまらない。占いができないではないか。
◆川口晴美『ボーイハント』(七月堂,1998)、読了。「土埃立つグラウンドの彼方、黒く尖って空を指している木々の陰から鳥が飛び立つ。そそけだった羽の色はくらいそらに滲んですぐに見えなくなり、羽音の反響だけが固体のような空気の中をぴりぴりと伝わってきて髪に、皮膚に、土に残された黒い水の跡に、届く。細かいふるえが共振する。共振する。やがてドーム中に広がって、ホイッスルが一度だけ、長く、高く、吹き鳴らされる」(「傾斜」末尾)。ここ、うまいなぁ、視点の移動、開放。あと、「悲鳴」の一節、「暴風雨の/とても静かな暴風雨の夜だ/わたしは一人 薄い夜に覚めて/花を吐く/黙って/寝台のうえで体をねじり/くるしく駆けあがってくる花茎を/吐く」。花を吐くってのいいねぇ。☆☆☆☆。
◆詩を書く。
◆映画版『ワンピース』はやけに教訓的なお話だった。
◆『アフタヌーン』8月号。もう『アフタヌーン』は買わないかもしれん。ハグキ「ハトのおよめさん」、近所の公園に、このハトとそっくりの、子供が乗って遊ぶ用の、木製のでかいハトがある。四季賞準入賞作、五代英輔「君の言葉がききたい」、オーソドックスなボーイ・ミーツ・ガール。学校生活のルーティーンにうんざりの少年と、転校してきた一匹狼的な少女。田中登監督「人妻集団暴行致死事件」で邂逅したりするところ、泣ける。期待は鶴田謙二の新連載が来月号から。
◆あまりに忙しく家帰らない堺正章に、妻の前田美里「かくし芸だって、ハナ肇さんみたいに銅像になればいいじゃない」。いいね。みんな銅像でいいね。
◆自転車でブックオフ高田馬場北店。前川麻子『センチメンタル・アマレット・ポジティブ』、本田信次『PMトロント』、平居謙編集『脳天パラダイス特別大詩集』、『宮本百合子選集(10)(12)』、梁石日『狂躁曲』。全て百円均一。
◆その近くの馬場戸山口店にて、殿山泰司『バカな役者め!!』、川口晴美『ボーイハント』。トノさんは三百円。
◆ラスト、ブックオフ要町店。関川夏央『森に降る雨』、ベルンハルト・シュリンク『朗読者』。なんかここの買い物はオーソドックスだったな。二冊とも百円。あと大山のブックマートで『アフタヌーン』8月号、百円。百円の本ばっか買ってると、なんだかみじめにもなってくる。
◆いまだに携帯を持っていない。今まで必要がなかったというのもあるが、携帯のデザインで自分好みのものがないというのが大きい。いつも持ち歩くものなら良いデザインのものが欲しいが、今売ってるものは、ほぼ全部似たり寄ったりのつまらないデザインで、まったく買う気がしない。電気製品全般に言えることだが、機能などもう頭打ちなんだから、そろそろデザインで勝負したほうがいいんじゃない? つーわけで、家電王国の電子レンジ、『non-no』に載ってたけど、かっこいい。
◆平居謙編『脳天パラダイス特別大詩集』(鹿砦社,1999)、さらっと読了。プロレスと芸能本の鹿砦社が、なぜか詩のアンソロジーを。有名から無名まで、いろんな人が書いている。オイラが名を知っていたのは、清原豊明、小川テツオ、細見和之、園子温くらい。気になるのは、ほとんどの詩に、自分しかいないということ。詩は内田春菊ではなくて、西原理恵子であらねばならない。自分を他人のように書くこと。
よかったのは、網野杏子「ドリー」の一節、「ストラップのドラミちゃんが揺れている/君は妹だから『どこでもドア』を出せないんだね」。
魚村晋太郎「二号」は全編良いが、とくに「窓の外で揺れる凌霄花が、落下のイメージでアパートに凭れる凌霄花が低俗な電波を中継している。あああ、少し悲しい。あ、少し悲しいと言ったな。日本語はいづれ一部屋に収まる。そんな予感がする。」の一節。園子温は映画監督だと思っていたが、詩人もやってるとは知らなかった。そう考えると彼の映画は詩的だ。どの詩もよいが、特に「十五歳」は全く素晴らしい。「毛むくじゃらっていいよね/むしれるし 猫背になると/毛並みがよくわかる/青春についてよく考えろ!!/それが冬も夏も課題/高校生は不思議だよ 先生もいけない/あんなに長いのに/手で振ったりするから/不思議さがにじんでしまうんだ/女教師って/すごい雑草だな/世の中ってすごい雑草だな/元気ないよな 君ん家の奥の方なんてね/だって大胆な野郎ども及び娘さん●だろ? 今日の朝刊、見た? 変な事件だな?/毛並みが見たいからって事件にするかな?/いなかもんだからね オイラ/知らないけれど よくはね/「大人たちの口約束は/キッスでスタート」だろ?/姉さんは言葉ばっか話してる/東京の携帯電話で言葉ばっか/●/●/●/●//ところで変にはがれやすい奴……/あれは良くないよ……/忘れていく奴……/飼い猫をだよ! すぐ咳こんで……/遮断機の前でしゃがむ奴……/結論を急ぐなってば!……/終電が通り過ぎてって時に!……/オヤジ/ぼくは許すけど/口元で オヤジ オヤジ って/許すけど……//――こんなこと囁いてる奴……/あれは良くない……/すごく、はがれやすい奴……/柱とかに……はさまれて……/風が吹くと……舞っちまいそうなんだ……//父さんと母さんが/今朝の朝刊で 事件を語りあってる/父「写真で見るだに 結構、普通の緑なんか/極だってる」/母「まんべんなく突然の植物園だったりして……/ま●いいか」/海で波があがったり 空に雲があるような/よくわかる事のほうが すけべかもね/あ そうなんだ/ぼく もうじき 十五さいになるんだよ/笑っちゃうだろ/大きな声じゃいえないよね でもさ/昨日から今日にかけて/口元に 血がパァッと広がるんだ 嫌だよ/いやな味でコーヒーミルに吐いた/手もふいた/匂いも嗅いだけど もうじきさ/肉が、大胆になる理由が透けて、わかるんだ、/地図で、指させるよ、//よく、雨上がりなんかに黙っている少女が 街の角っちょに/いるだろ?/すぐ脇を通るとこっちを見て、やっぱ/黙ってる しまいこんだ舌は/リスのシッポさ/口元はきゅっと閉まってて/嘘がばれるのを やっぱ気にしてるみたい/赤いのに 結構 赤いのにさ/わかるだろ? でもぼくも黙って過ぎ去るんだ/さいならって/さいならって/本当に/さいならって/本当に/さいならだもん」。
☆☆☆☆☆。
◆三木道山のあのうざったいレゲエはなんだ。「一生一緒にいて」ほしいのなら、変な条件付けをするな、しかも男のほうから一方的に。一緒にいるってことは、とにかく相手を認めて無条件に受け入れるってことじゃないの? 互いに成長したりしなきゃダメかい。
◆「青空と同じ秤で量るゆえ希望はわかしそら豆よりも」「青空はわがアルコールあおむけにわが選ぶ日日われ捨てる夢」「雲雀の死告げくる電話ふいに切る目に痛きまで青空濃くて」(寺山修司)。「青空」をいくつかピックアップしてみた。「青空」ってのは何か特権的な単語だ。
◆夜に起きていて、朝になると寝て、夕方に起きるという、青空を全く見ないような、昼夜逆転生活に陥っている。こーいう生活って、あんまり好い印象を持たれないけれど、でもさ、昼夜逆転生活者って結構多いんじゃないだろうか。無職の人とかマンガ家とか特に。もしかして、昼間起きているのは会社で労働するためであって、人間、それがなければ、自然に夜起きて昼寝るという生活になるんじゃないかなー。みんなが昼間起きてるから、自分もそうしてるってことに過ぎないんじゃないのかな。もしかして、昼夜逆転生活のほうが「自然」なんじゃない? 夜に行動
することを認めよう、なにも後ろめたくなる必要はないのだ。今の社会はあまりに昼の人用にできている。夜の人のための世界があってもいい。学校も夜、買い物も、デエトもみんな夜。そうすれば、色素性乾皮症(紫外線=太陽光に当たれない体質)の人も大丈夫だしさ。太陽よりも月を!!
◆板橋から新宿まで自転車で行ってみた。飛ばしたので40分くらい。「ぺぺ」の最上階の本屋、前はたいした品揃えじゃなかったが、久々に行ってみたら、すごく充実した棚になっていた。マンガ関係の書物の集めっぷりがすごい。マンガも、活字もセレクションがうまく成されている。狭い店舗面積だが、大型書店に負けていない。こーいう本屋は嬉しくなるなぁ。
◆ブックオフ東中野店。山松ゆうきち『エラヅヨの殺し屋(2)』、エド・マクベイン『運命』、伊藤比呂美『わたしはあんじゅひめ子である』。全て百円均一。なぜか今月は、山松ゆうきちがこれでもう二冊も手に入った。
◆夕飯は回転すしで、そのあとカラオケにいく、U-karaは全くダメだ。松浦亜弥の「ドッキドキLOVEメール」を唄ってみて、アイドル用によく考えられた曲だなということが分かった。とくにサビのメロディは、官能フェロモンが否応なく導き出されるようになっている。
◆山松ゆうきち『万病マージャン』『エラヅヨの殺し屋(2)』を読了。基本的にマンガはアニミズム的なものであって、だからこそキャラ萌えという現象も起こると思うのだが、山松ゆうきちはマンガのそーいう部分を全く捨てている。山松ゆうきちを読んでいて快感なのは、徹底して唯物論だからだ。「萌え」全開の人気マンガに対して、山松ゆうきちのように、「萌え」ない不人気マンガもある。目立たないし、もしかして埋もれていってしまうのかもしれないが、っつーか、もう埋もれてるのかもしれないが、おいらは山松ゆうきちを支持します。
☆☆☆☆。
◆「『生産性』情念の固定フィルターを忘却し、『無産性』としての可変フィルターを内在し得るかということのほうに意志を持つこと」(小杉武久『音楽のピクニック』)
◆毎朝、Kの弁当を作りながら「目覚ましテレビ」を観ているんだ。なっちゃんが結婚するんだ。もう32歳なんだ。とても30を超えているようには見えないね、なっちゃん。年なんてどうでもいいけどさ、結婚なんてしちゃいけないよ…… ホントにさ……
◆「目覚ましテレビ」の次は、小倉智明がメイン司会の「とくダネ」を観るんだ。今日の特集では、喫煙する高校生の映像を流して、みんなで非難していました。高校生よりタバコ会社を責めるべきだと思うけれどね。小倉の言うことと、国の言うことにはデフォルトで半畳を入れつづけなけりゃならないね。……そろそろ、だんだんと眠くなってくるんだ……
◆昼ごろ起きて、中板橋商店街唯一のレンタル屋「ピープル」の月イチ百円セール。ここら辺、この小さい店一軒しかレンタル屋がない。中板橋住人でもないのに百円セールは欠かしません。深田恭子『MOON』、ミシェル・ガン・エレファント『ロデオ・タンデム・ビート・スペクター』、岡北由有『Panda』、『岸和田少年愚連隊 超特別篇』を借りる。
◆深田恭子の曲は、前からときどき有線で流れるのを聴いていて、ずっと気にはなっていたのだ。この『MOON』というアルバム、全作詞が黒須チヒロ。初めて見る名前だけど、有名なのかな? アイドル歌詞の王道である。作曲は大部分がハルイチって人で、もしかしてポルノグラフィティーの三田村邦彦似のボーカルかい? 深田恭子も一曲だけ作曲している。編曲陣が豪華で、亀田誠治(→椎名林檎)、CHOKKAKU、小森田実(→スマップ)、白井良明(→ムーン・ライダーズ)、あと溝口肇、鈴木俊介。深田恭子の声は、一本調子で感情がこもっていない感じで、それが好きだったんだが、こうしてまとめてアルバムで聴くと、疲れてくるなー。飽きるし。それに最新シングルの「スイミング」を超える曲はなかった。
◆次、岡北有由『Panda』。この人、最近メジャーデビューしたね。これはインディーズ盤。なぜこんな場末のレンタル屋に、インディーズ盤があるのか不明である。他のアーティストのインディーズ盤なんて全くないのに、岡北有由だけやけに揃っている。もしかして岡北有由がここら辺に住んでいて、置かせてもらっているとか? これを借りたのは、ジャケットにある詞が良かったから。「全部 完璧にしたい/ワガママな娘だ/少しズレると すぐに戸惑う/危なっかしい娘だ/あっちに行ったり/こっちに来たり/くるくる まわって/めが まわって/息をきらして ピリピリして/さわると電気が走りまくっていた/難しい時期だ/今を乗りこえろよ,娘さん」。これはかろうじて、詩になっていると思う。でもこれ、ジャケットに書いてあるのみで、曲として収録されていなかった。他の歌詞は、まぁ、素直なラブソングというか、目だったところはない。「咲イテ」という曲のメロディーがちょっと耳に残る。運が良ければブレイクするかもしれん。
◆しかし、今日聞いたので一番良かったのは、この前図書館で借りた『アンダーグラウンド』である。、エミール・クストリッツァ監督の同名映画ののサウンドトラック。音楽はゴラン・ブレゴヴィッヂ。ユーゴのジプシー音楽やらバルカン音楽やらを取り入れて、乗りがいい曲からバラードまで。メインテーマ曲は、日本のブラスバンド、LIVE! LAUGH!が、オフノートから出したアルバム『風ヲキッテ進メ!』でカヴァーしている。
◆ワイドショーで潜入、ステージママ養成学校。ロケ弁当の片付け方を習うらしい。まだ娘が芸能人にもなっていないのに。
◆「ベルクソンは面白いことをいいました。眼がなければ見えない以上、眼は視覚の器官だが、同時に眼は視覚の障壁である、と。これは一見奇妙な言い方のようですが、大変深い思想です。彼は、眼がなければもっとよく見える、と言ったのではありません。そうではなく、眼は視覚の限界だと言っているのです。眼があるから見えるが、しかしそれは同時に、それしか見えないということなのです。視覚には一定の視野、限界があります。視覚の彼方には見えないものが広がっています。ですから、眼は見るための器官であると同時にその障壁なのです。大切なのは、これが眼だけに限らないということです。この身体によって私はいまここにいて、自分を表現し、存在し、生きているが、しかし同時に、この身体のために私はここ以外のところにいることができず、病気になり、身体が源であるあらゆる禍にさらされているのです。同様に、この言語によって私は私の思考を伝えるが、同時に思考を否定しています。私の思考はつねに言語の向こうかその手前、言語にかからないところ、言語とは別のところにしかありません。このように言語は思考を表す妨げですが、しかし私たちは妨げられているがゆえに表現するのです。表現の手段は表現の障壁なのです。それというのも、私たちが人間だからです」(ウラジミール・ジャンケレヴィッチ『帰らぬ時と郷愁』)。
◆夕飯の買い物の帰り、古本屋で、山松ゆうきち『万病マージャン』、斎藤綾子『ルビー・フルーツ』(斉藤美奈子の解説がいい!!)、夏目漱石『我輩は猫である』、大山玲『真夏の夜のユキオンナ(1)-(4)』を全部で400円くらい。
◆松尾スズキは、例のアレについて、「あれは奥菜恵本人ではない」と否定派である。そう信じたいけどさ……
◆板橋区中央図書館にて、
『辻潤全集(1)』、スピッツ『花鳥風月』、ゴラン・ブレゴヴィッチ『アンダーグラウンド』、古澤良治郎と大往生『もすぐ死にまっせ』を借りる。その近くの古本屋で、開高健『渚から来るもの』(これはKに)、吉本隆明『「反核」異論』、ロス・マクドナルド『地中の男』、大槻ケンヂ『ぐるぐる使い』、エイドリアン・ブルー『キス、キス、キス!』、森崎和江『まっくら』、全部で400円。
◆古澤良治郎と大往生『もすぐ死にまっせ』は、古澤良治郎、川端民生、猪野陽子、松川純一郎、藤ノ木みか、片山広明、津山研太、後藤まさる、有田純弘、日倉士歳朗、佐々木コテツ、外山明が集まって、映画『大往生』(永六輔原作)のためにつくられたバンド。『大往生』の映画音楽って、ふつう考えたら、穏やかな音楽をってことで、腐ったニューエイジになりそうなもんだが、メンバーを見れば分かるように、すげえcoolなジャズなのである。この音楽で『大往生』って、どーいう映画になっているのだろうか、観てみたくはある。
◆「何かが欠乏している人間には与える能力があるゆえに、僕は惹かれる。持てる人たちは与えようとしないし、たぶん受け取る能力すらなくなっている」(ル・クレジオ。荒川洋治『詩論のバリエーション』より孫引)。
◆サトウトシキ監督『サイコドクター 白濁のしたたり』、観る。脚本は今岡信治で、助監督が女池充。助演に佐野和宏、佐々木ユメカも。ごく一部の人には素敵に豪華な面々。とくにサトウトシキと今岡信治は、個人的に、日本映画界の二大アイドルである。もぐりの産婦人科医の男、実は下着フェチでもある。ある日、下着を盗ろうとベランダに忍び込むと、そこには裸の女がいた。女は男に「助けて」。後日、男の病院に、女が患者として偶然やってくる。女は亭主に虐待されていたのだ。ひょんなことから男は拳銃を手に入れて、女を助けるため亭主を殺そうとするも……。この作品も、今岡マニアにはたまらん、男が女を背負うシーンあり。あと、下着フェチの主人公が、警察に捕まりそうになるとき、友人の靴フェチが主人公を助けるシーンがあって、このマイノリティの連帯には泣けたなー。要所要所に小学生を登場させる構成もいい。☆☆☆☆。
◆桐野夏生『錆びる心』、読了。なんか文章のお手本みたい。きちっとした文章を書くのね。基本的にベストセラーとか人気作家とかの本はあまり読まないが、桐野夏生を読もうと思ったのは、平日昼間の再放送で『OUT』のドラマを観たから。これは良かった。深夜の弁当工場で働くパート主婦が主人公。同じ職場の友人がダンナを殺しちゃって、死体の後始末を頼まれ、しょうがなく引き受け、それがきっかけで、死体解体屋をはじめちゃったりする。この「深夜の弁当工場のパート」って、プロレタリアートっぷりが泣かせるではないか!! ☆☆☆。
◆『Bstreet』vol.1、読了。探偵をテーマにした短編アンソロジー。書き手は、山田章博、斎藤岬、冬目景、今市子、しまじ月室&Marr、東城和実、亀井高秀、雁須磨子。冬目景が良いのは当然として、それ以外では、東城和実「見参!!獅子王丸晶様」の掟破りの名探偵が痛快。探偵の解決の仕方でこれ以上のものはないだろうってほど、めちゃくちゃなルール違反っぷり。スバラシ。☆☆☆☆。
◆『九龍』vol.1、読了。こちらは河出書房新社の新創刊漫画雑誌。オール読み切りで、書き手は、新井理恵、大越孝太郎、秋重学、山崎さやか、イダタツヒコ、柏木ハルコ、松本次郎、萩原玲二、東篤志、山口綾子、太陽星太郎、加藤さゆり、内田雄駿、座神狐独、逆柱いみり、永福一成。繰り返し読んだのは、山崎さやか「HOUSE」。感情を表す表情の描き方がまことに上手い。☆☆☆☆。
◆「大槻ケンヂ『……遠藤さんの(仏教における)「空」に対する解釈は――』/遠藤誠『「ないこと」=ゼロです』/……/大槻『この世のすべてのものは、ほんとはないんだよと。結構、面倒くさいときなんか、「イヤー、でも本当はこれ、ないんだから」って――』/遠藤『そう。ない、ない』/……/大槻『ボクは、これを女の子と会う時に応用してるんですよ。緊張するじゃないですか、最初のデートって。そういう時に、ああ色即是空、色即是空って』/遠藤『(笑)いいですねぇ』/大槻『きれいなお姉ちゃんがいるけど、別に相手がどう思おうといいの、いいのってなると――』/遠藤『そう思って接すると意外ともてるんですよ、逆に』/大槻『いやあ「般若心経で、モテモテ」っていうのはなかなかいいっすスね』/遠藤『いいっス。確かに』」(大槻ケンヂ『のほほん人間革命』角川文庫、1995 )
◆島田荘司『眩暈』、読了。不合理な謎が、名探偵の手で、合理的に解決されていく快感を堪能。☆☆☆☆。
◆ワイドショーによると、いまどきのコギャルはあまり風呂に入らないし、服も替えない。香水でごまかしていて、実は不潔だという特集をやっていたが、おいら、四日くらい風呂に入らないでいたら、朝、自分の異臭で目が覚めた。いくらなんでも、こりゃいかんと思って、「ごたごた荘」へ、お風呂を借りにいく。大学時代の友人たち男女四人(無産者)が、一軒家を借り、「ごたごた荘」と名づけ、共同生活しているのである。「ごたごた荘」という名は、『長くつしたのピッピ』より。それにしても、おいらの回りで、正社員でボーナスをもらったことある人って、一人か二人くらいしか思い浮かばないなー。なぜこうも回り道ばかりしてしまうのか。「石原くん、明日、なにかあるの?」「なし。予定はつねに空白!!」(泣)。いかの薫製を入れた特製マリネと豚汁をご馳走になり、そのまま泊まる。
◆六角橋商店街の有線で流れていた、深田恭子の新曲、サビが「女の子はー/比べられるーのがー/だいーきらいなの」ってやつ、いいね。
◆「私は、アングリー・テナーマンと呼ばれているが、私はただ自分自身に対して怒っているだけだ」(ジョン・コルトレーン)
◆最近の買い物リスト。横浜にすんでいるはずなのに、なんで池袋周辺なの? という石原進吾マニアの方に説明しますと、一週間くらい中板橋のKのところに居候していたのだ。K宅を拠点に自転車で周辺をまわった。
◆まず、ブックオフ要町店。ここは、光琳社のデッドストックの山積がまた一段と増えていたが、こんな売れなそうな本ばかり出してりゃ、そりゃ潰れるぜよ。光琳社には手を出さず、梶原にき『月と水の夜(1)』、『Bstreet』vol.1、児島都(原作・綾辻行人)『眼球綺譚』、古荘正朗『真夏のドライブ』、ボリス・ヴィアン全集10冊くらい。全て百円均一。ヴィアン全集が百円で揃えられたのはラッキーかも。あとCDは、パラダイス・ガラージ『実験の夜、発見の朝』、カステラ『世界の娯楽』。
◆パラダイス・ガラージ『実験の夜、発見の朝』は、メジャーデビュー盤。アレンジャーに金剛地武志、福富幸宏。売れ線な音で勝負に出ようとしたのは本人の意思ではないだろう。サックスに菊地成孔ってのは分かるが、ヴァイオリンの向島ゆり子がどーいう人脈からきているのか、不明。
◆川越通りの古本ショップにて、星野架名『青い銀河の夜明け』、まつざきあけみ『ぼくらは青年探偵団』、一条ゆかり『有閑倶楽部(9)(10)』、内田春菊『一身上の都合』、全部で百円。
◆久々に中野ブロードウェイのまんだらけ。探していた、榛野なな恵『キューピッド・ベイビー』、ヤフーオークションでは結構な値がついていたが、百円で購入。
◆タコシェ。早見純自選最低作品集『純にもぬかりはある』、紺野泰介作品集『変態劇畳』、藤本和也『ふらふらふらり』第一部。
◆ブックオフ中野早稲田通り店。『アソシエ』X、特集・グローヴァリゼーションとジェンダー(パラパラと読んだが、こーいうのはもういいよ。業界以外の誰が読むのさ)、鈴木ユリイカ『NOBLE・愛』『海のヴァイオリンが聞こえる』『ビルディングを運ぶ女たち』、『インパクション』103号、特集・沖縄へそして沖縄から、藤本直規『別れの準備』、『文藝』2001年春号、永井宏『smile』、唐十郎『腰巻お仙』、猫田道子『うわさのベーコン』、ソウルフラワーユニオン『国境を動揺させるロックンロール』、松本剛(原作・ファンキー末吉)『北京的夏』、『九龍』vol.1。
◆上とは違う日にまた、ブックオフ中野早稲田通り店。ここは他のブックオフと違って「違いのわかる店」を売りにしている。みすず書房とかガロ系のマンガとかは高く買い取ってくれるらしい。でもそれって高く売られるってことだからなー。志村貴子(=東京堂えるえる)『敷居の住人(3)』、木村千歌『パジャマ・デート(2)(3)』、永野のりこ『ひっち&GO!!(1)』、今井好子『あなたとわたし、レタスを食べる』、庭屋幸子『橋のある町』、全て百円均一。最後の二冊は思潮社の詩集。
◆その近くのブックオフ東中野店。一条ゆかり『砂の城』、小野原教子『表面張力』、上野千鶴子『マザコン少年の末路』、吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー』、全て百円。
◆榛野なな恵『キューピッド・ベイビー』、読了。1980年発行。今と絵柄が全く違う。「いまわたしが在る瞬間を最大限に自由に大切に使いたいの」「でもそれには強靭な精神が必要よ 現実は枠を用意してるんだから」「そう…枠の内にいれば心安らかに生きられるけど わたし不器用だしきっとはみだしてしまうから」(92頁)、というあたり、今と同じ思想である。表題作は、妻に先立たれた助教授とその娘の話で、『Papa told me』の原形といえる。『Papa told me』と違って、助教授は同僚の女性と結婚するのだが、そこでお終い。『Papa told me』でも、パパと知世ちゃんの共同体から、女性は巧妙に排除されているけれども、もうそろそろその先を描くべきではないのだろうか。☆☆☆☆。
◆早見純自選最低作品集『純にもぬかりはある』(ひよこ書房、2001)、読了。いざってところで、オナニー始めちゃって女の子に殺される「冷たいアナタ」もいいが、衝撃は「長い夜」。これ、いままで読んだ早見作品で一番スゴイ。必読。タコシェで通販されている。☆☆☆☆☆。
◆紺野泰介作品集『変態劇畳』(ひよこ書房、2001)、柳下毅一郎も絶賛していた、埋もれたエロ劇画家、紺野泰介の作品集。異様に書き込まれた畳の目、大胆な構図、フェティシズム。つげ義春も影響を受けたという海の描写は、まるで悪夢のようだ。これもタコシェで通販されている。☆☆☆☆☆。
◆藤本和也『ふらふらふらり』第一部(餅屋ブック、2001)。無産者モラトリアムもの。「十年後ぼくは何をやってるんだろう……」「この辺にいるんじゃないですか」(48頁)。はまった。☆☆☆☆☆。
◆志村貴子(=東京堂えるえる)『敷居の住人(3)』、読了。オイラが髪の毛を緑に染めたのって、このマンガの影響が無意識にあったのだろうか。染めるときには全然考えてなかったけれど。今はもう色が落ちて金髪になってしまった。☆☆☆☆。
◆梶原にき『月と水の夜(1)』、読了。二人の河童が少年と出会う。実は少年の父親も、むかし同じ河童と友達だった。お話も良いが、梶原にきの線が好き。凛々しい線だ。☆☆☆☆。
◆児島都(原作・綾辻行人)『眼球綺譚』、読了。児嶋都が山本晋也の娘だということは、最近の『トゥナイト』ではじめて知った。知ったからといってどうということでもないことだが。しかしちょっと驚き。児嶋都の絵柄は、近年ますます楳図かずお風になりつつある。まだホラーを描いていなかった頃の、エキセントリックな感じの絵柄も好きだったけれど、今の絵柄も安定感があってよい。さて、ここから突き抜けていけるのかどうか。(神田森莉のページよりびっくりしてる児嶋都嬢、かわいい)
☆☆☆☆。
◆木村千歌『パジャマ・デート(2)(3)』、これ好き。ほのぼのカップルライフ。ここまでくると「なごみ」の閾を越して、「なまけもの」である。☆☆☆☆☆。
◆一条ゆかり『砂の城』文庫版全四巻、読了。典型的なメロドラマ、あまりのお約束展開にニヤニヤしながら読みつつも、泣ける。誰も悪い人がいないのに、不幸になっていくヒロイン。こうでなくっちゃ。しかしこれって、一歩間違えれば、不条理ギャグだよなー。☆☆☆☆☆。
◆永野のりこ『ひっち&GO!!(1)』、読了。いつもの、自分の居場所探し系。☆☆☆☆。
◆古荘正朗『真夏のドライブ』は、文学界新人賞をとりつつも富士銀行に入社。三十五歳で夭折した作者の作品集。野田秀樹が東大で同級生だったということで、珍しく感傷的なレトリック抜きの文を寄せている。それに惹かれて読んでみたんだが、いかにもな「文学」。☆☆☆。
◆鈴木ユリイカ『NOBLE・愛』、読了。例えば、「朝は生まれた/半熟卵の中から今日というひなが生まれた/夜は死んだ/電車通りで疲れた今日という鳥がひかれた」(「わたし」)、こーいうレトリックばりばりの詩はどうも好きじゃない。オイラが好きなのは、ただ事物を見ること、事物がそこに現れていることを純粋に驚いているような詩だ。例えばウィトゲンシュタインの哲学ような……☆☆☆。
◆『文藝』2001年春号、特集・いまここにある階級闘争。酒井隆史、松本麻里の対談。長原豊のレクチャー、林浩文、矢部史郎+山の手緑、平井玄、小泉義之、吉田豪、吉田さつき、湯浅誠、陣野俊史のエッセイ。プロレタリアートの再形成は大事だけれども、文学やマンガは、そこからこぼれおちるような主体を描かねばならない。だから階級闘争特集で、小説を載せていないのは懸命な判断だろう。いちばんおもしろかろかったのは、プロレスにおける階級闘争を描いた吉田豪。特集外では、笙野頼子、三浦俊彦が良いのは当然として、いまさら清水アリカはどうかと思ったが、「ゴースト」は、現実に頼らない自律したリアルを描いて絶品。柴崎友香「次の町まで、きみはどんな歌をうたうの?」って、このタイトルいけてるの? 読む気なくすような。佐藤亜有子「媚薬」の出だし、「夜のビーチに面したレストランバーのテラスでは、ふんだんにあたりを飾る南国の花々に篝火の明かりが映え、空気には火と蜜と潮の香りが混ざり合い、バカンスを楽しむ雑多な国の客たちの笑いが響いていた。/すぐ背後のテーブルで、愛のささやきが聞こえる。」を読むだけでうんざりする。こーいうのを「文学」だと思っているのなら最悪ではないか。特集には☆☆☆☆。
◆お使いのメモを書いていたKがひとり爆笑したので何かと思ったら、「『たまご』を『たまげ』って書いちゃったよー」。たまげ=玉毛。エッチ!! ちなみに「エッチ」という言葉は舟橋聖一が作って流行させた。ちょっと雑学。
◆デエトに疲れて一人、無印良品でソファーに坐っていたら、前を通りすぎるカップルの男、「座る?」と女に聞いた。女「バカみたいだからいい。いるよね、自分ちみたいに座ってる人ー」。なにーーーー(怒)
◆ゴスペラーズの/髪の毛は/極端だ
◆エリートの子供を殺すより、エリートを殺せっつうの。殺人現場を見た子供がPTSDになるのは確かかもしれないけど、マスコミがことさら傷ついた子供のケアを言い立てているのは、その裏に、子供は純真で弱く傷つきやすいものだというイデオロギーがちらついていていやらしい。それに一番子供を傷つけているのはマスコミの取材じゃないか。
◆NHK「みんなのうた」を観ていたら、空気公団の唄が。……しかし、25歳にもなって「みんなのうた」をボーっと観てるって、人としてどうかと思うが。
◆深夜、NHKで「BSマンガ夜話」の再放送。『ガラスの仮面』の回のゲスト、荻野目慶子が「役作りの参考になった」「紫のバラの人、ホントにいたんですよ」と爆弾発言。
◆クラムボンのドラマーが官能小説好き。
◆コードもくそもないギターの爆音をいくつも重ね合わせて、少女のヴォーカルがくだらないことを可憐にうたう。
◆詩を作る。タイトルは「はき声」。「近くから 遠くから/あなたの はき声が聞こえる/ぐげっ ぐげー/ぐげっ ぐげー/詩人の声だ//いつのまにか 伝染してしまった/あたしも/ぐげっ ぐげー/ぐげっ ぐげー/やる//壁一枚へだてて/顔をあわせたこともない/あまい知恵の果実 まに受けた わたしたち/ぐげっ ぐげー/ぐげっ ぐげー/挨拶だ/便器に顔をうずめて……//みがかれていく/身体の角度/体がわたしを切り離してくれれば……//今日も ふたり/声をあわせて/ぐげっ ぐげー/ぐげっ ぐげー//はき声で つながっている//の?」
◆もうひとつ。「タクシー運転手の妻を/殺して/タクシーの中にぶらさげます//妻ならなんでもよかったわけではないのだ//「胸が、胸が」と/わめかせます//タクシー運転手の妻の鼻からうどん」。これはいまひとつ。
◆「さあ、もうゆかなくちゃ。でも、どこへゆこう?」(長田弘『猫がゆく』晶文社、1991)。
◆文春漫画賞に、小田原ドラゴン『コギャル寿司』。なんだか本格的に、世の歯車が狂ってきたような気がするなー、いい意味で。これにくらべたら三島賞(中原昌也、青山真治)なんてまだまだ甘いなー。
◆トリュフォー『隣の女』。隣に越してきた夫婦、実は妻が昔の恋人だった。「隣の女」と再び燃え上がる禁断の愛。だけど「隣の女」は精神を病んでしまう。ここで不当なのは、女の側だけ病むことだろう。☆☆☆☆。
◆向田邦子『隣の女』、読了。向田邦子の描く些末な生活感は、ある種のピンク映画に受け継がれているのかもしれない。たしか今岡信治は、向田邦子を集中的に読んだというようなことを言っていたはず。「元気よ、みんな元気」「さようなら!」、ちょっとした科白が利いている。☆☆☆☆。
◆『未来』5月号(未来社、2001)をパラパラと。田崎英明「無能な者たちの共同体」が最終回。「人間と言語はどのようにかかわるのかという問いは、人間(あるいは主体)をではなく、自我を問題としているかぎり、浮かび上がってこない。肝心なのは主体と言語の関係であるはずなのだが、今日、それがしばしば言語における、あるいは、言語による自我の分節化という、『言語の経験』とは全く別の場面で論じられてしまう場合がある」。だから、ジジェクやコプチェクを代表とするラカン派は、構築主義=歴史主義を批判する、と。「精神分析は自我を強化しようなどと思ってもいないし、同一化に頼ろうとも考えてはいない。……。テクノロジーがグローバルなコミュニケーション・ネットワークの発展に従属させられ、すべての存在が、グローバルな資本主義によって召喚を受けている今日、精神分析の『役立たなさ』は、私たちが別の共同体へと身を晒すための、大切な武器となっている」。
◆鳩山郁子『青い菊』には、付録で蔵書票がついている。自分でも作りたくなって、オリジナル蔵書票を作る。