◆これの原稿書きと編集で辛い思いをしたこと以外、とくに書くようなことはないのだった。終わりなき日常を生きてますわ、はっはっは。
◆ ところで、星評価はもうやめます。なんか偉そうだし。適当だったし。
◆ 最近、あんまり映画も観てないし本も読んでない。見ようと思って録画してある映画なら山ほどあるんだが。松本大洋のスピリッツに載った『花』は、やっぱ『話の話』の影響だろうなーと思うと『話の話』を観返したくもなるのだが。ついでに同じく『話の話』に影響された吉田戦車の漫画も読みかえそうかねーと思いつつも、それより卒論用の資料読まなきゃなー嫌だなー別に美少女マンガを取り上げるからってフェミニズム対策しなくてもいいよなーとか、それよりテスト勉強だよなーとか考えてると眠くなっちまうんだな。ああ。(この「ああ」の発音は、モーニング娘の「大嫌い大嫌い大嫌い大好き」の次の「ああ」ね)。つーか、こんなこと書いてるオレって最低だな。
◆『カリートの道』監・ブライアン・デ・パルマ。 デ・パルマはよくヒッチコックの物真似だとか所詮B級だとか言われたりもしたけど、でも今ハリウッドでちゃんと映画を作ってるのはデ・パルマくらいじゃないかね。今のハリウッド映画と違って、観た後に「よっしゃ、自分も映画撮るぞ」って思わす力がデ・パルマ作品にはある。
◆『いつものように』監・??。 シネアミューズにて。 男二人と女性一人が出会って別れるまでの一日を描いた作品。漫画やら小説やらで書き尽くされたような物語だが、飽きないのは作り手の意気込みが伝わってきたからだ。
最初の十分くらい観て思ったのは、これは絡みのないピンク映画のようだってこと。貧乏臭いアパートの部屋から映画は始まるのだが、あそこで引いちゃう観客もいるだろう。いま日本のインディペンデント映画っていうとなぜかオシャレなイメージがあって、というか、若手の作る日本映画全体にそういうイメージが持たれているような気がする。だからやたらと映画館に客がいるのだろうか? いやそれにしてもホントにミニシアター系にはやたら客がいるね、なんなんだろ。で、そういう客からしたら、この映画は拒絶されるような気もする。でもなぁ、一方で受け入れられもするんだな。ここがこの映画の弱いというかうまいところでさ、要するにテレビのトレンディードラマと構造は同じなんだよ。バイク便の兄ちゃんと、その客のイラストレイター姉ちゃんが出会ってしまうあたりね。現実的に考えたらこんな出会いはないよ絶対。夢を見させちゃいかんよ。いや夢を見させるのが映画なのか。この作品についての文章でやたら「リアルに描いて云々」ってのがあるけど、映画にリアルなんてもんはありえないんでね。現実とその表象を混同しちゃいかんのよ。さすが山根貞夫はその点を問題にして『 ??????』をキネ旬で擁護してたけど、それにしてもキネ旬を愛読してる映画ファンって気持ち悪いよなーって思うのはおいらだけかい? あとシルバースタインの『ぼくを探して』を引用するセンスとか、やたら姉ちゃんが人生に悩んでて、またそれをベラベラ語るあたり好きじゃないんだが、でも結局、おいらがこの映画を肯定するのは、作品内で物語が完結していないからだ。監督もそうしたいからこそラストシーンに電車を使ったんだろう。山手線だったのがちょっとひっかかるけどな〜。ぐるぐる回って自閉し続けないことを祈る。
竹中暉雄『エーデルヴァイス海賊団』勁草書房,1998。 ナチのヒットラーユーゲントに抵抗した少年少女。旅行などの禁止や強制労働への反発が主な動機で、党派的に組織された抵抗運動ではなかったが、やはりこれは抵抗として歴史に残すべきものだ。むしろ組織されないこのエーデルヴァイス海賊団のような抵抗こそ重要だと思うし、現代においても通用すると思う。できたらもっと海賊団たちの証言を紹介してほしかった。あと記述が重なっている部分がいくつかあってしつこいのが気になった。
ナチスに支配されていても司法はナチに反発するし、広範囲に多くの少年少女がエーデルヴァイス海賊団となった。たいして、日本の全体主義はなぜほぼ完璧に成立したのだろうか。やはり天皇の存在か。
◆山田富秋、好井裕明『排除と差別のエスノメソドロジー』新曜社,1991。 いちおう社会学のゼミに出てるんで、社会学の本も読んだりするのだ。専門書をあまりWEB日記で取り上げてこなかったのは、ただ単にめんどくさいからだ。内容を紹介すること自体かなりめんどくさい作業なので、この本はお薦めなので読んでとしか書かないのだった。怠惰。
◆高橋亮子『道子』白泉社花とゆめCOMICS,1980。 高橋亮子はいま集めているのだが、ことごとくつぼにはまる。とくにこの表紙は良い。『つらいぜボクちゃん』が文庫で出ていることを今日知った。買うだろう。ショートカットの凛とした女性を描かせたら高橋亮子の右に出る作家はいないね。あ、沖倉利津子のセッチがいるか。美しい女性は少年であるというようなことを稲垣足穂が書いているが、初期の広末涼子なんてまさにそんな感じだったんだがなぁ。いまや……。 フェミニズムの観点から高橋亮子を再評価することは簡単だろうが、やはり漫画は漫画として読みとかないとな、と自戒をこめつつも、そのための方法論が見つからないのだった。とりあえず、キャラクターレベルではなく表現のレベルを問題にしていくこと。おいらの興味をそそるのは物語の内容ではなく、むしろその語りの仕方なのだ。そしてマンガへの愛などという物言いは消し去ること。
◆松浦理英子『優しい去勢のために』筑摩書房,1994。
◆アランジアロンゾ『ともだちの写真』ベネッセ,1998。いかすなー。キティではなくミフィ、たれぱんだではなくアランゾパンダという美意識のない奴とは友達になれないね。
◆湯田豊『比較思想論』勁草書房,1995。授業用。
◆高橋亮子『迷子の領分(1)』小学館フラワーコミックス,1981。そう、いつまでも迷子のままで。
◆伊集院808『エロラエロマ』松文館AV COMICS,1996。相変わらずいかげんで良いね。
◆大田垣康男『王様気分で行こう!』双葉社ACTION COMICS,1993。真面目でイヤね。
◆三原ミツカズ『集積回路のヒマワリ』祥伝社FELLYOUNG COMICS GOLD,1997。この非日常な様式美。
◆南Q太『愚図な女ばかりじゃないぜ』ぶんか社,1997。岡崎京子以降の女流では最重要作家などと言われつつ、それは、比べる相手がちがうぜ。
◆吾妻ひでお『スクラップ学園全3巻』秋田書店秋田漫画文庫,1981,82,83。 ギャグの濃度が高い。吾妻ひでおが一番のっていた頃の作品で、個人的にはこれが一番勢いがあっておもしろいと思う。いままで何回読み返したことか。
◆高野宮子『SPOON』角川書店ASUKA COMICS,1995。ジュブナイルSFの傑作マンガ。
◆沖倉利津子『日曜日はげんき!!』集英社MARGARET COMICS,1978。 沖倉利津子『火曜日の条件』集英社MARGARET COMICS,1978。 沖倉利津子『木曜日はひとり』集英社MARGARET COMICS,1979。 沖倉利津子『7月25日(水曜日)台風上陸!?』集英社MARGARET COMICS,1980。 沖倉利津子『聖子と吉三郎』集英社MARGARET COMICS,1981。 沖倉利津子『ゆけ!柴崎真実!!』集英社MARGARET COMICS,1982。 沖倉利津子『卯子そのぐんじょう色の青春』集英社MARGARET COMICS,1983。いわゆるチッチ・シリーズ。元気のいい女の子が飛び跳ねてるのはいいなぁ。よしもとよしともも誉めている。
◆そらみみくろすけ『放課後戦隊ゴタッキー(1)』講談社ヤンマガKCスペシャル,1992。
◆室山まゆみ『あさりちゃん(31)』小学館てんとう虫コミックス,1990。
◆横山光輝『その名は101全3巻』秋田書店,1994。 横山光輝『マーズ全3巻』秋田書店,1993。 なんというかもの凄いペシミズムというか。これを子供のころに読んでたらトラウマになったんじゃないか。とくに『マーズ』の救いようのないラスト!!!
◆逢坂みえこ『永遠の野原(10)(11)』集英社BOUQUET COMICSワイド版,1993,94。せつねぇなぁ。
◆よしもとよしとも「アヒルの子のブルース」『ストアVOL.3』光琳社,1998。いつもの。素晴らしい。
◆世棄犬『DOGMAN』司書房,1996。
◆陽気婢『彼女の自由』ワニマガジン社,1997。
◆真崎守『エデンの戦士(1)(2)』ブロンズ社,1978。
◆おかざき真理『冬虫夏草』ラポート,1994。 変質的ともいえる草の描き込みに圧倒される。自閉による安定とそこからの脱出。ラポートの漫画は苦手だという人にもお薦め。
◆吾妻ひでお『ぱるぷちゃんの大冒険』ぱるぷ,1985。 「まんがの森」の棚にあったので復刻されたのかと思ったら初版だった。とりあえず買っとく。やはりおもしろい。
◆星里もちる『いきばた主夫ランブル』徳間書店少年キャプテンコミックスSP,1989。 しっかし、『少年キャプテン』に主夫の話が載っていたのだから驚く。『わずかいっちょまえ』といい『少年キャプテン』時代の星里作品は傑作ぞろいだ。
◆舞登志郎『妹の匂い』オークラ出版,1998。 妹のパンツの染みからおしっこを抽出して試験官にコレクションしているような兄貴が表題作では描かれる。この作品を『コミックピクシィー』で初めて読んだとき、ラスト近くの2ページ見開き「どっかつれてってお兄ちゃん」と妹が手を差し伸べるところは凄いと思った。果たしてこのコマは現実なのか? そのあとに兄貴と妹が二人で出掛けている場面はあるのだが、しかしそれでも兄貴の夢でないとは言い切れないはかなさや幻想性をこのコマはもっている。個人的には舞登志郎の最高傑作。 「スカトロマシーンVS.りえちゃん中学二年生」ではりえちゃんの走り方が好きだ。足を水平にして走るのだが、そのような懐かしい少年マンガ的な走り方はいまどきなかなかないのだ。
◆たかしたたかし『犬雨』司書房,1998。 ロフトプラスワンのイベントで永山薫はハイエンド系作家としてたかしたたかしを挙げていた、たしか。しかしたかしたたかしのどこがハイエンドなのかいまいちよくわからん、というかそもそもハイエンド系という枠組みに合致するのがどういう作風なのかがよくわからん。もしたかしたたかしがハイエンド系だとするのならば、果たしてハイエンド系とカテゴリー化する必要があるのか疑問だ。特に枠づけして語るほどの特色がたかしたたかしにあるのだろうか? ちょっとせつない普通の美少女マンガとしかおいらには見えない。例えば「24年組」ならば大島弓子、萩尾望都云々という作家名によってイメージできるのだが、ハイエンド系というのはそこらへんがよくわからん。作家名を出すとなんやかや言われるという理由で更科修一郎は作家を特定しなかったが、それならばハイエンド系という枠の名付けはやめるべきだ。名付けは暴力なのだから、名付けるからにはさまざまな攻撃を引き受ける覚悟で名付けなければならんだろう。
余談。更科修一郎もそうだが何で漫画アニメ関係者って世代分けが好きなんだろう。世代分けほどくだらないことはないのだが。
◆泉昌之『プロレスの鬼』綺譚社,1983。
◆青山広美『九蓮宝燈殺人事件』竹書房,1997。
◆上野顕太郎『帽子男は眠れない』講談社モーニングKCデラックス,1993。
◆新田たつお『怪人アッカーマン(4)』双葉社ACTION COMICS,1980。 漫画読みの間では常識だろうが新田たつおは凄いのだ。『コミックキュー』あたりに描けば新しい読者層が開けて、もっと活躍の舞台が広がると思うのだが。そういや、いま「漫画が好きなんですぅ」とか言う奴に限って『コミックキュー』とか『コミックキューティ』くらいしか読んでないんだよな。おれ多分『ハッピーマニア』はつまらんと思うから読まない。そういうことが匂いでわかるようになるためには、雑誌を手当たり次第に多く読まないとだめだ。せめて図書館やコンビニにある雑誌には全て目を通すことだ。おいらは一年間そうした。かなり役立つ。
◆本宮ひろ志『読み切り傑作選特別増刊(1)』オハヨー出版,1978。
◆松田一輝『愛星団徒(1)(2)(3)』集英社プレイボーイCOMICS,1985。 宇宙の悪魔との決闘方法は野球であると宇宙憲章には記されているらしいぞ。
◆朝倉世界一『幸福の毛』JICC出版局,1992。 ああ、これを何回読み返してきたか。朝倉世界一は天才なのよ。
◆あすかあきお『地球大壊滅の恐怖』講談社ハイパーサイエンスコミックSP,1994。
◆笠間しろう『スーパーレディ魔子』太田出版モンドエロチカ,1998。
◆樹村みのり『夢の入り口』ねこの手出版,1996。ヤマギシ会の批判パンフレットに樹村みのりがマンガをよせている。
◆山本譲二の母校の小学校が火事で焼けたとテレビのニュース
◆私はエロチックでない哲学など信じない。無性化された思想など信用しない。ヴィトルド・ゴンブロヴィッチ
◆私とは一人の他者である。ランボー
◆電車のなかから赤い夕日が美しく見えたので赤川次郎の思い出を語ろうか。
◆マックでオレンジジュースをこぼす。
◆ディスクユニオンでRLW『REVUE ET CORRIGE』[TRENTE DISEAUX]、ザ・ポップ・グループ『Y』[WARNER JAPN]、AMM『FROM A STARANGE PLACE』[MODERN MUSIC]。こんな有名どこしか買えない根性を笑え。所詮そんなもんだ。灰野敬二を二枚買ったらポスタープレゼントってのがあったが、あんま欲しくないよなぁ。猛毒のボックスを買おう買おうといつも思いつつ値段の高さゆえに躊躇してしまうのだった。だいぶ長い間売れてないから、同じく躊躇してるやつらがいるんだろうか?
◆タイムズスウエアの紀国屋で『ワガランナァー』、『コミックファン創刊号』。アロンゾのポスター
◆渋谷のブックファーストに寄る。二回目だがここ、かかってる音楽が妙にプログレがかってる。
◆まんだらけ。あのカラオケほど無意味なものもないんじゃないか。
◆大盛堂で嶽本野ばら『それいぬ』購入。
◆高橋亮子『つらいぜ!ぼくちゃん 全3巻』双葉社双葉文庫名作シリーズ,1998。 登校途中の道でぶつかって二人は出会い男は一目惚れする。少女マンガにおける恋愛はアプリオリなものであって、そのきっかけは何でもよいのだ。少女マンガは様式美であり、24年組でさえその様式を壊そうとはしていない。人物の背景には葉っぱが流れていなければならないのであって、それは大島弓子でもそうだ。 高橋亮子は最高だ。高橋亮子の描くヒロインはいつも真摯に生きていて、羨ましい。
◆松本ななこ『スナイパー人形隼のジョー』小学館フラワーコミックスSP,1997。 時代遅れのスナイパー人形ジョーが活躍?するギャグ。しかし本当の主役はおやじだ。
◆羽生生純『ワガランナァー』アスペクト,1998。 まさかちゃんと物語として完結するとは思わなかった。ギャグってのはギャグだけでなく物語構築力がないとダメなのね。傑作。
◆ガチャピン宇宙へ
◆餃子、おもちゃ、ゲイ映画館記念撮影おばちゃん笑い、裸、ホームレス、民族楽器
◆自販機にお金吸い取られる
◆新宿ディスクユニオンで『54-71』Unchain UNCD-0001、 『statics』CCI、 main『corona』beggars banquet、 syllyk,koji marutani『Other-wise』デジタル・ナルシス
◆犬童一心監督『二人が喋ってる』。大阪を舞台に、漫才コンビを目指す二人の女の子のミュージカル。ラスト近くで、二人が歌い出すところは泣けた。犬童一心、いつか凄い仕事をするだろう。
◆『shoking peach』。まったくつまらない。
◆『クルシメさん』。肛門系AVでも活躍の井口昇監督。デジタルビデオで映画を撮るための方法論がつまっている。
◆『マンガフォアマン』はバロン吉元だけおもしろいじゃないか。
◆『コミックボックス』8月号,ふゅーじょんプロダクト,1988。 藤本由香里『わたしの居場所はどこにあるの?』(学陽書房,1998)の出版記念パーティの模様が2ページにわたって写真入りで紹介されている。相変わらず中島梓は恐いな、とか、コスプレパーティーって無理してるようで嫌だな、とか、小倉千加子は良い顔をしているな、上野千鶴子より良いな、とか。うげぇ、センス悪いなと思ったのは、『残酷な天使のテーゼ』が流れるなか著者退場だってさ!! もう、やだ。でも、いま『コミックボックス』の記事を読み返したら、『残酷な天使のテーゼ』云々の文章は見付けられなかった。なぜだ? でも、どこかで読んで、センス悪すぎ〜と印象に残ってるのだった。でもやっぱり記憶違いかもしれん。 特集は「20世紀の少女マンガ」。高橋亮子、内田善美、吉野朔美、竹坂かほり、いくえみ綾の名が一回も出ていないのは納得いかないし、もう「24年組」はいいだろう、むしろ「24年組」の影に隠れてしまった少女マンガを取り上げてほしい。作家についての文章のなかでは魚喃キリコについてのものがいちばん良かった。あめかすりに岩館真理子について書いてるのでニヤリとする。矢代まさこの「ノアをさがして」について、竹内オサムは「単行本『ノアとシャボン玉』(朝日ソノラマ,1978)に収録されたきり、現在では入手の難しい作品」と書いているが、これは間違いで、1996年にNTT出版から『ノアをさがして』というタイトルで復刻されている。ちなみに朝日ソノラマの『矢代まさこ名作シリーズ』の3巻を最近みかけたが、1000円だった。1巻2巻は持っているので3巻も欲しかったが、高くて手をだせなかった。 あとは、今一生の文章は生理的に嫌いだとか、それくらいか。
そうだ、ヤマダトモコの「まんが用語24年組は誰を指すのか?」はおもしろい。書誌学的な探求だが、読ませる。
あ、あと浜岡賢次のインタビューもあったのだ。『ブブカ』のインタビューと比べると落ちるが。
さらに加藤洋行+後藤啓介のマンガが巻末にあって、この二人のマンガは久々に読んだのだが、書き込みが少なくなった。とくに人物の描き方がシンプルになってきているようだ。話は泣けた。やっぱ、最后に誰かが死んじゃう物語って好きだ。
◆『コミックファン』創刊号,雑草社,1998。 とくになし。『コミックナビ』よりは長持ちする程度か。なんか閉じた印象。全体的につまらん。とくにインタビューの仕方がどうしようもない。
◆片岡吉乃『クール・ガイ(1)』集英社マーガレットコミックス,1995。 嫌な男だと思ってたけど、実はいい人だったのね、という王堂パターン。たぶん2巻目で男の隠された事情、複雑な家庭環境が描かれるのだろう。
◆浜岡賢次『浦安鉄筋家族(18)』秋田書店チャンピオンコミックス,1998。 最新刊だが、新宿の路上で100円で購入。ちなみに都市の雑業の代表格である路上100円雑誌屋では、エロ本のことを「趣味の本」と言う。フグオの家で巨大鏡餅が溶けて襲ってくる話が好きなのだが、作者のコメントでは「最悪」と書かれている。作者の評価の良くないもののほうが、むしろおもしろかった。いちばん笑ったのは、184ページ、春巻が灯油缶入りランドセルをしょって尻餅をつくにいたる三コマの描写。浜岡賢次は描写、マンガ表現そのもので笑わせることのできる数少ない作家であり、それは彼の基礎がキートンやロイドにあるからだろう。
◆『コットンコミック』8月号,東京三世社,1998。 駕篭真太郎のために買う。たぶん単行本は出ないだろうから、切り抜いてファイルする。今回の「駅前切断」は小津の『秋刀魚の味』がベースになっている。吹き出しの細かい区切りとゆったりしたコマ運びで小津独特のリズムをうまく表現している。『戦艦ポチョムキン』の場面もある。駕篭真太郎が映画志向だということを初めて知った。町田ひらくがそうだということはすぐに分かったのだが、駕篭真太郎もそうだったのか。ZERRY藤尾といい、オイラの好きなエロマンガ家は映画をよく観ているであろう人たちが多い。
駅前シリーズはいつもそうなのだが、オチが弱いというか最后のコマで拍子抜けしてしまうのが気になる。最后に辿り着くまでのテンションが高いからしょうがないのかもしれないが。
◆伊集院808『オレンジジュース』一水社,1996。 伊集院808のやけくそ加減は素晴らしい。異端のエロ漫画家。
◆辰巳ヨシヒロ『コップの中の太陽』小学館文庫,1976。 いまなら例えば『ビッグコミック』に載りそうな話。ということは、劇画的なものは『ビッグコミック』へと収斂したということか。そういや『カムイ伝』の続編は『ガロ』じゃなくて『ビッグコミック』に載ったしな。
◆バーベキュー用に借りた金で本買ってしまった。
◆マイルーラ舐める。苦し。
◆深沢七郎『庶民列伝』新潮社,1970。
◆山崎浩一『危険な文章講座』筑摩書房,1998。 引用が内田百けんだったり片岡義夫だったり橋本治だったりして、自分の好みとぴったり。
◆山崎浩一『退屈なパラダイス』筑摩書房,
◆三原順『ムーン・ライティング(1)(2)』白泉社,1986。
◆とり・みき『マンガ家のひみつ』徳間書店,1997。 マンガ家によるマンガ家インタビュー。とりわけ、とりみきは批評的なマンガ家なので、読みがいあり。
◆篠崎まこと『おとぎばなしはいらない』集英社りぼんマスコットコミックス,1982。 大島弓子に似た絵柄で、内容は普通。
◆松井雪子『東京デビュー(上)』青林堂,1991。
◆けらえいこ『あたしんち(4)』メディア・ファクトリー,1998。読売新聞で唯一の楽しみ。
◆メモ。ポップ・カルチャー・クリティーク『エヴァの遺せしもの』、糸山氏の美少女漫画評論。『コミックピンキィ』の永山薫の奥平イラに関する文章はさすが!!! 自意識過剰で暑苦しいエロマンガ/ゲーム雑誌のコラムが多いが、永山薫だけは別格。
6/1998||9/1998
ISHIHARA, Shingo
shingoo@lily.sannet.ne.jp