#28(土)

パゾリーニ「統一感を持っていないがために、書き手とは関係なしに、書かれた美がまた新たな美を生み出す、とは言えないでしょうか?」/パウンド「私を持ち上げてくれるのはいいが、君自身の責任においてやってくれ」/パゾリーニ「あなたが書くときは、シュルレアリスト達が書くときと似ていますか?……」/パウンド「忘れたなあ」/パゾリーニ「……あなたは狭い井戸の底にいて、そこで自分の人生を振り返って見ている、私にはそんなふうに思われるのです」/パウンド「君の言うことは深すぎて、それに返答するのは難しい。だって私は表面にいるんだから」(「パウンドとパゾリーニ」『現代詩手帳』第41巻第7号)

◆ダーリンの家へ行くとき、白楽駅前に自転車をとめていたら、撤去されてしまった。わざわざ新子安の保管所まで引き取りに行く。1500円。まったく。

◆大口駅近くの古本屋で、朔ユキ蔵『チマタのオマタ』(350円)、つげ忠男『ささくれた風景』(800円)。東神奈川駅前のミッキーで、石塚正英『ソキエタスの方へ』、『ジャック・デリダのモスクワ』、藤野千夜『少年と少女のポルカ』、矢作俊彦・横木安良夫『火を吹く女』、木崎ひろすけ『GOD-GUN世郎(1)』、岩田江利子『ウルフ物語(4)』。近くの軒下文庫で、『ヘミングウェイ全集(1)』、L・キャロル、柳瀬尚紀編『不思議の国の論理学』、『フランス短編24』、ピンチョン『スロー・ラーナー』、E・ホール『かくれた次元』、上田周二『闇の扉』、横井庄一『明日への道』、全て100円。

◆そういえば、木崎ひろすけ、あすなひろしが亡くなった。あすなひろし、大好きだった。『青い空を、白い雲がかけてった(1)(2)(3)』、中学生のとき、古本屋で予備知識もなく偶然買って、何度も何度も読み返した。サンコミックスで出ていたものはほとんど揃えた。木崎ひろすけは、実力はあるのだが、いまいちブレイクせず、単行本もあまり出ず、不遇だったが、温かい絵を描く人だった。しかし、なぜトーンを使わないと「温かい」と感じるのだろう。

◆朔ユキ蔵『チマタのオマタ』、読む。全編に何か焦燥感がみなぎっている。☆☆☆☆☆

つげ忠男『ささくれた風景』、読了。あなたは義春派? 忠男派? オイラは断然、忠男派です。義春は小説に近く、忠男は映画に近いと思うが、どうか?☆☆☆☆☆


#26(金)

◆「何ごとをも断念しないことだ。幸福をも、愛をも、怒りをも、知性をも。ためらってはいけない。快楽のなかに快楽を、傲慢さの中に傲慢さを味わうことだ。喧嘩を吹っかけられたら、激昂することだ。なぐられたら、やり返すことだ。話すのだ。幸福を求め、自分の財産を、金を愛することだ。所有するのだ。少しずつ少しずつ、これ見よがしにせずに、有用なものすべてを手に入れるのだ、そして無用なものも、そして肝心かなめのもののうちに生きることだ。そのあと、地上においてすべてを手に入れてしまったなら、自分自身を手に入れることだ。壁がむき出しの、ただ一つの大きな、灰色で冷たい部屋に閉じこもるのだ。そしてその中で、あなた自身のほうへ向き直ることだ、そしてみずからを探訪する、絶えずみずからを探訪することだ。」(ル・クレジオ、豊崎光一訳『物質的恍惚』1970)

◆なんか最近映画ばかり観ているけれど、今日は犬童一心監督『金髪の草原』を観た。主演は池脇千鶴と伊勢谷友介(広末の恋人?)。犬童一心にとっては、『赤すいか黄すいか』に次ぐ大島弓子原作もの。この映画の、「世界の肯定」っぷりは、プロザックを飲むより効くかもしれない。ちょっと、ドキュメンタリータッチなんだけど、トリアーの『ダンサー・イン・ザ・ダーク』なんかと比べたら、あざとくない。相変わらず犬童一心は、夏の描写が卓越している。☆☆☆☆

六角橋商店街の古本ショップで、石田拓実『クライン ベイビ。』を200円。夕飯は、どん亭。

◆石田拓実『クライン ベイビ。』、読む。まずタイトル、この最後の「。」は、もうダサイんじゃないだろうか。外面はバカな売女、内面は純真という主人公。外面と内面のギャップにうじうじ悩んだりしないのが現代風。石田拓実、安心して読める、手堅い作家になりつつある。☆☆☆☆

西川魯介『SF/フェチ・スナッチャー』、読了。スクール水着型、上履き型、ショーツ型、etcの宇宙人を捕らえるため、めがねっ娘が活躍。設定がばからしくて良い。☆☆☆☆。ついでに西川魯介『屈折リーベ』も読了。やたら出版されてるが、魯介ブームなのだろうか? 西川魯介を読む楽しみのひとつに、細部のギャグの多さが挙げられる。例えば、121頁で男が飲んでいる缶ジュース、「(微炭酸)ネギ」。☆☆☆☆

舞登志郎『メジャー漫画家への道(1)』、読了。エロ漫画家舞登志郎が、メジャーを目指すドキュ。角川書店やら講談社やらに持ち込みして、軽くあしらわれたり、ロケット兄弟、速水憂海らにマンガ道の教えを請い……。舞登志郎の単行本『妹の匂い』は、個人的には大傑作だった。でも、舞登はさらに上を目指すのだ。熱いなあ。偉いなあ。そして、これ何よりおもしろい。☆☆☆☆☆


#28(木)

◆「美香『いま、こまわりをやってるところよ』/まこと『どすえ』/ママリン『コマワリ、何よ、それ』/美香『こういうやつよ。これがいちばんむずかしいんだから、すぐゆがんじゃうのよ』/ママリン『でも絵がぜんぜん入ってないじゃない』/美香『それはあとからいれるのよ』/ママリン『あとから?! でもストーリーがいちばんたいへんなんじゃないの』/美香『ストーリーはいちばんかんたんなの』」(楳図かずお「まことちゃん」まんが家入門の巻)

◆池袋のタワーレコードで、インディーズCDが50%オフセール。montage『authropologie』、『INTERCITY』を買う。『INTERCITY』は、tamaruの1050レーベル一枚目。1997年。もう4年前か。空色のジャケットが美しい。taku sugimoto、masahiko okura、kozo ikeno、tamaru、akifumi imaizumiの作品が収録されている。音響系にしては、派手な音が多いと思う。

◆中板橋の古本屋で、『だめ連宣言』、『デラックスYOUNG YOU』、ルディー・ラッカー『セックス・スフィア』、ディック『時間飛行士へのささやかな贈物』などを400円で。

ダーリンの帰りが遅くて、チャンネルをザッピングして暇つぶししていたら、いきなり聞き覚えのあるメロディーが。これはもしや『桃尻娘』のテーマじゃないか!! 9chってテレビ埼玉? で、『桃尻娘2』を観る。part1と同じく小原宏裕監督、竹田かほり、亜湖が主演。亜湖が妊娠しちゃって、竹田かほりと亜湖が中絶費用を稼ぐために、風俗でアルバイトって内容。たいした映画でもないと思うんだが、ラストの学園祭あたりで泣けてきた。☆☆☆☆

◆金塚貞文『オナニスムの仕掛け』少し読む。


#24(火)

◆「画家たちはそのエネルギーの内圧によって、とにかく先に手だけが動いて何ごとかを成してしまうのだ。……。だからその時点で画家たちに言葉を求めるのは、批評家の甘えであると画家たちは思った。本当は、見る者の、その批評家の冒険が要請されるのだろう。目撃者としての冒険である。」(赤瀬川原平『いまやアクションあるのみ!』筑摩書房、1985)

◆交通量調査のバイト。もう絶対にしない。15分おきに、渋滞長、滞留長を計る。あまりにも暇すぎるので、ずっと歌を唄っていた。中島みゆきの「鳥になって」とか。「眠り薬をください 私にも/子供の国へ 帰れるくらい/私は早く ここを去りたい/できるなら 鳥になって」。今岡信治監督の「痴漢電車 感じるイボイボ」(原題『THE TRAGEDY OF A SHAMELESS MAN』)で使われていて知った名曲。


#22(日)

◆「石となれ石は怖れも苦しみも憤りもなけむはや石となれ」「我もはや石とならずむ石となりて冷たき海を沈み行かばや」(中島敦「石とならまほしき夜の歌八種」より)

◆逆リンクをちょっと調べてみたら、「美少女」「ロリコン」「Hマンガ」を検索して、このページに来る人しかいない、ということが分かったので、せめてそれ系のリンクを強化しよう。お客様は神様です(三波春夫)。

◆榎本敏郎監督『濡れ濡れ卍妻 喪服で昇天』、観る。榎本敏郎は1996年デビュー。ピンク四天王(サトウトシキ・佐藤寿保・佐野和宏・瀬々敬久)以降の世代である。デビュー作、『禁じられた情事 不倫妻大股開き』は劇場で観ている。音声効果マンとストリッパーの恋愛を描いていて、オーソドックスだが、とても良い映画だった。この『濡れ濡れ卍妻……』は、地味だけれど、そこらへんのサイコホラーよりよっぽど恐い。とくにラストの殺人場面が。脚本に井土紀州も参加している。ピンク映画、もっともっとビデオ化されてほしい。佐野和宏の傑作『変態テレフォンONANIE』もビデオで観ることはできないのだ。☆☆☆☆

◆ところで、いま日本でもっとも次回作が楽しみで、才気走ってる監督といえば、もちろん今岡信治で決まりですよね? いつのまにか新作が公開されていたのね。「高校牝教師 −汚された性−」、観に行かなきゃ。


#21(土)

◆「生きていくことの面倒くさいことは今に始まったことではない。それがイヤなら死ぬよりほかは名案はない。自分のようなひとから見たらおよそ暇だらけのように見える人間でも、落ちついて本など読んでいる時間の如何に寒々たるものであるかを嘆かざる得ない。しかし生きているのだから、死にたくはないにきまっている。飯はたいてい二度は食べているが、時に一度も食わないこともある、顔を洗うことも洗わないことも、床をあげることも、あげないこともある。」(辻潤「のつどる・ぬうどる」)

六角橋商店街の「どん亭」もデフレの波を受けて、牛丼並290円に値下げした上に、牛丼セールでさらに安くなって、230円ですよ。大学生協の一番安いカレーよりも安い。

◆朝ご飯は大学の学食で、一番乗り。卒業してもう二年にもなるが、大学は活用するべし。新聞、本、インターネットは図書館で。プールもあるよ。そいで、ときどきゼミ室へ遊びに行ったりして。もう知った顔はもういないけれど。(正確には一人いるけれど)。

豊田利晃監督『ポルノスター』。まるで「異物」のように千原浩史が不機嫌な顔で現れる。無愛想な表情で、愛想笑いの世界を断ち切る。千原浩史にくらべて、dipの音がウエットすぎるのが惜しい。千原浩史の顔は古谷実の描く顔によく似ている、これは発見。千原浩史とチョイ役の川瀬陽太に☆☆☆☆

◆中江祐司監督『ナビィの恋』。嘉手苅林昌、大城美佐子といった大御所を要に配した沖縄ミュージカル。おばあはおじいと結婚しているけれど、実はずっと心に想っている男がいる。60年前、おばあと男は周囲に仲を引き裂かれた。その男がおばあを迎えに島にやってくる。でも、おばあにはもうおじいがいて……、さておばあはどちらに身を振るの? 孫に西田尚美。ファンです。小泉今日子にちょっと似ている、これはどうでもいい発見。おじいがとぼけたキャラクターで、三線に合わせて「おしりもみもみ」と唄ったり、しみじみと「小さな胸もいいもんだよ」と若者に諭したり。毎朝、三線で星条旗マーチを奏でながら、牛の世話に出かけて行く。ヤマトンチュに意味のとれない科白には字幕が出るんだが、こういう場合、やっぱ字幕必要なんだろうけど、でもなくてもいい。もちろん「同じ日本人なんだから分かる」とかいうバカなコトじゃなくて。やっぱあったほうがいいのかなー。☆☆☆☆☆

パゾリーニ監督『豚小屋』。パゾリーニの何がいいって、あの画面の揺れ具合だよなぁ。カメラ、手持ちで撮ってるのかしら。あと、何もない荒野と静寂。話はどうでもいいんだ、ボーッと揺れ具合を観てれば。☆☆☆☆☆

六角橋商店街の闇市へ。闇市ったって、終戦直後のじゃなくて、夜のフリマ&バンド演奏会。でもこの商店街、もともとは闇市だったのだ。雨のせいか出店少。最前列、しゃがんでロック聴いてるお子様たち、後ろのほうで眺めてる老人達。

◆軒下文庫で、J・H・クラーク編『ハーレム-USA』、黒豹党支援日本委員会『すべての権力を人民へ』、黒人解放運動の古い本がまとめて、って、古本屋なんだから古い本売ってるの当たり前だが、まとめて売られていたので、何冊か。あと『大手拓次詩集』、真木悠介『人間解放の理論のために』。鉄塔書院で、西川魯介『屈折リーベ』、舞登志郎『メジャー漫画への道(1)』。

◆見田宗介=真木悠介の『人間解放の理論のために』は600円。相場から言えばちょっと高かったんだけど、最後のページにこんな書き込みがあったので、思わず買ってしまう。「1972.2.25/とても寒い朝が続く/初めて会社の売店をとおして買う。そろそろ春闘も、まいこもはいだすのではないかと気ぜわしくなりそう。/おかあちゃんの胃がさがっているのが心配だ。」。泣けるなー。いろんな景色が見えてくる。万年筆のにじみ具合がまた、いい。

◆夕飯、どん亭で牛丼並。たしか、おとといもどん亭。


#20(金)

◆「かぎりなく商業資本に寄りながら牛丼だけがあたたかかっ た」(加藤治郎『サニー・サイド・アップ』雁書館、1987)。

六角橋商店街の「どん亭」もデフレの波を受けて、牛丼並290円に値下げしましたよ。

◆「一、私は淫乱ビデオや淫乱雑誌、酒、たばこの誘惑を退けます。一、私は真実な心で友達に対し、暴力を振るわない。一、私は学校と社会の発展のために奉仕します。一、私は両親に孝行し、これから結婚する前も、した後も純潔を守ります。」(「純潔宣言文」日本青少年純潔運動埼玉県本部が配布のパンフレット『Pure Love』より)。まったく、なんて悪質なイデオロギーだ。

◆SUEZEN『新性生活』☆☆☆

◆山崎浩『どきどき』、風景の中に人間がいる。☆☆☆☆

やまだないと『バイエル[なつびより]』、質素で豊かな生活。「遠出はめったにしない」「わたしたちは/車も免許も/もっていない……/自転車は半年前に/行方不明になったまま」。そんな散歩ライフ。☆☆☆☆☆


#19(木)

◆「ヂンタの妙とは、あの如何にも自棄な疲びれた様な、虚無的な、たいはい的な奏し方にある」「演ってる楽士たちが、のこらず親不孝もので前科者で、無頼漢で、女たらしで、花柳病患者であると思へる様な、リズムがなければならない」(徳川無声)。

川原泉を久々に読み返す。彼女の作品の登場人物たちは、雑種の人ばかりだ。雑種の人は出会いを躊躇しない。雑種の人は、雑種であるがゆえに、無闇に他者と出会う。読者はいつのまにか雑種のまなざしを獲得する。そうして、世界が今までとは違ったふうに見えるようになる。それにしても、『甲子園の空に笑え』とか『銀のロマンティック、わはは』とか『メイプル戦記』とか、何回読んでも泣いてしまう。抜群のタイミングでルフランが挿入されていて、それがまた泣かせる。『笑う大天使』で麦チョコが重要な役割を果たすのだけれど、おかげでムショーに麦チョコが食べたくなってしまった。しかしお菓子屋さんに売ってない。麦チョコ、麦チョコ、麦チョコ。☆☆☆☆☆

◆彼女のところから幾日かぶりに横浜に帰省したら、白楽駅前においておいた自転車が撤去されていた。あー、もう。

続・清水哲男詩集』、車中で読了。「わが町」とか好き。「日曜日である/雀斑の日差しが町に動き/テニスコートでは/老人ばかりが球を追っている//あれたちが坐っているのは/マーケットの屋上だ/木も水もない/男と女の関係だけがある//若い女とは動かないものだ/それだけ余計にこの町では/風景のほうが動く//コートの老人が笑い声をあげた/でも女の腕の雀斑は動かない/結婚できないだろう」。この最後の「結婚できないだろう」!! めちゃくちゃ気に入った。痺れる。☆☆☆☆☆


#15(土)

◆ 「『ではあなたはこの世界についてどう思ってる?』と我々は(ブラジルのストリート・チルドレンに)聞いた。『とても悪い臭いがする』と彼は答えた。『何もいいことはないの?』と聞き返すと、『何もない。悪者にとってふさわしいだけ。世界には何の意味もない』」(N・シェッパー=ヒューズ、D・ホフマン「ブラジルのアパルトヘイト〜ストリート・チルドレンの都市空間での居場所を求める闘い」『思想』2000年第1号通巻907号)。

◆リブロのぽえむぱろうるで、根本敬、湯浅学、船橋英雄『幻の名盤百科全書』、サイン入り。リブロで、岡部公彦『モダンの近似値、スティーブンズ・大江・アヴァンギャルド』。ジュンク堂で、田崎英明『夢の労働 労働者の夢』、『現代思想』vol.18-4,購入。メトロポリタンのキディランドで、チョビットのシリーズの絵葉書。チョビットが塀越しに花を持って「Hello!」と呼びかけているもの。しかし、この「hello!」はいらないなー。あと、グーグーがお絵描き中に寝てしまっているものと、グーグーの頭に小鳥がのっかっているもの。全部で三枚購入。

鶴見済『檻の中のダンス』、読了。レイブで「人々は会場に行き、ドラッグをやって踊り、終わればただ帰る。その繰り返しのなかからは新しい思想も変化も何も生まれないかもしれない。しかしそこで我々は気持ちいい。……。紛れもないユートピアだ。ここではもう、新しい形の幸せに人々が走り出したのかもしれない。それは"勝利"とか"愛"といった『他者』との関係を前提とする従来の幸福ではない、言わば『科学的な幸福』だ。確かに抵抗はあるが、そっちが"正解"のようにも思える」(279頁)。しかし我々はいつまでたっても「幸福」だけは捨てられないのだろうか? それに著者は、本を書くという「他者」に向けた行為を行っている。SSRI(プロザックに代表される抗欝剤の種類)を飲んでまで、「社会」に合わせる必要があるのだろうか。ないだろう。いやなものはいやでいい。☆☆☆☆


#14(金)

◆「後退する。/センター・フライを追って/少年チャーリー・ブラウンが。/ステンゲル時代の選手と同じかたちで。//これは見なれた光景である。//後退する。/背広姿の僕をみとめて、//九十歳の老婆・羽月野かめが。/七十歳のときと同じかたちで。/これも見なれた光景である。//スヌーピーを従えて、/チャーリーに死はない、/羽抜鶏を従えて、/老婆に死はない。/あまりに巨大な日溜りのなかで紙のように、/その影は、はじめから草の根に溶けているから。//そんな古里を訪ねて、/僕は、二十年ぶりに春の水に両手をついた。/水のなかの男よ。それも見なれぬ……/君だけはいったい、/どこでなにをしていたのか。/どんなに君がひざまずいても、/生きようとする影が、草の高さを越えた以上、/チャーリーは言うだろう。/羽月野かめは言うだろう。/ちょっと、そこをどいてくれないか。/われわれの後退に、/折れ曲がった栞を挟み込まれるのは、/迷惑だから、と。」(清水哲男「チャーリー・ブラウン」『スピーチ・バルーン』思潮社、1975)。

◆「今朝のFMで/詩人のパーソナリティが/めずらしく、自作の/『チャーリー・ブラウン』を朗読している//後退する…………//眠い目をつむって ききほれていると/『チャーリーは 床屋の息子だったか、/どうか。それを確かめないと、/なかなか、あの世へも往きにくい……』/などと言っている/……以下略」(宮下和子「朝の更衣」『碧空』紫陽社、1989)

◆ゴキブリの本を書いて有名になった人が、足のくさい人のことをけなしているという夢をみた。自分の利用できるマイノリティは持ち上げて、利用できないマイノリティはおとしめる、そーいうことは良くないぞ、って教訓かしら。

◆交通量調査バイトの説明会のため、神田パンセへ。もうすぐ取り壊されてしまうらしい。レトロでいい雰囲気の建物なのだが。また遅刻。

◆どうしても遅刻してしまいませんか? 一時間前に待ち合わせ場所に来ているのに、まだ時間があるからと、そこらへんをぶらぶらしているうちに、約束の時間がきてしまって、結局遅刻してしまう。そーいうことの繰り返しばかりだ。こーなったら、意地でも遅刻する。


#13(金)

◆「世の中が不景気で大多数の人達が困っているのに、自分がなんにもせずに毎日酒を飲んでアフラアフラしているように思われることはあまり愉快なことではない。しかし、私はそう思われても別段たいして苦にはならない。自分は夙に人生に対して『白旗』を掲げて生きている人間だからである。」(辻潤)

◆生きるための言葉を!! 生き延びるための。といっても、中谷彰宏のようなものではない言葉を。ピアノでいったら、リチャード・クレイダーマンではなく、セシル・テイラー原田依幸の音を!! 

◆今年はずっとぶらぶらだが、去年はずっと働いていた。働くことは苦痛だったが、いくつかの言葉によって、なんとか持ちこたえた。去年は、今まででいちばん多く詩集を買った年だ。思潮社の現代詩文庫だけでもざっと25冊は買った。

◆阿部恭久の詩について。始めて触れたのは、荒川洋治のエッセイだった。「初夏/反歯の教師にSVCの文例問われた/I feel fine./ぼくの答えに振りむいた女の子//くるり/プールサイドでしたことは/解かれて薄暮/膝がなきそうだった//それもこれもくるりくるり/女の子も/英語に振りむくなんてあれっきりだろう」(「生きるよろこび」)。文章の常套作法にのっとれば、ここで感想を書かねばならないのだろうが、くだらないことしか書けそうもない。ひとつだけ言えるのは、この詩は、自分にとって確実に必要なものだということだ。そして阿部恭久のほかの詩も、自分を埋めるパーツの一部になるだろうと思った。しかし、池袋リブロ内の詩専門書店、ぽえむぱろうるでさえ、阿部恭久の詩集は2冊しかなかった。でもサイン入り!! 神田や渋谷にある詩専門の古本屋も回ったが、ない。あるとき偶然、松下千里『生成する「非在」』に偶然出会った。横浜の東急ハンズの近くのぽんぽん船、マンガと文庫しかないような古本屋、店頭の百円均一棚で、偶然手に取った。本との出会いはタイミングでしかない。それを逃すか逃さないか。……ところで、なんでこんな「横浜の東急ハンズの近く云々」なんてローカルなことを、わざわざ書くの? でも、インターネットだからこそ、こーいうことを書くのが重要なんじゃないかとも思うわけです。それで、松下千里の詩の批評に脱帽したわけだが、阿部恭久についても松下千里は書いていた。タイトルは「アイスクリームから新しくなる」。


#12(木)

◆「フィッシュマンズの佐藤君は、生前彼女だけが重要なんであって、バンドのメンバーも友達もそれほど重要じゃないんだということを言っていたようにも思うんですよ。じゃあフィッシュマンズの音楽は佐藤君とその彼女との間でしか通用しないものなのかといえばそうではなくて、その佐藤君と彼女との関係が無限に交換可能な君と僕として聞こえてくる。そこでもやはり始まりは小さな現実、些末な生活であるわけです」(大和田洋平「時評対談20001128」『エスプレッソ』10号、デミタス社、2001)。

◆ovalは、その理論は残るけれども、曲は残らないのではないか、ジョン・ケージのように。

原田依幸『KAIBUTSU』、1985年ピットインの即興演奏。もう15年以上前の音だが、全く古びていない、むしろ新しい。原田依幸のピアノを聴いていると、体が自然に動いちゃう。インプロのピアノでは珍しいんだ。☆☆☆☆☆

◆音楽における音そのものへの志向、いわゆる「音響」の台頭と、マンガにおける「アニメ絵」の台頭とはパラレルな出来事ではないか。

◆……聴き直してみたら、やっぱりoval、良い。

なにわ天閣監督『セーラー★刑事〜悪夢のスクール・デイズ〜』、観る。ばっっっっっっっっっっっっかだなぁーーー。美少女戦闘ドラマのパロディとしては、もうこれ以上のものは作れないだろう。思春期の男子がこれを観たら、先の人生に希望を抱くかもしれん。世の中まだまだ捨てたもんじゃない、と。キムタクの『ヒーロー』で一躍脚光を浴びた田中要次(ピンク映画を観てる人なら、お馴染みですね。でも、朝のワイドショーで彼が取り上げられたとき、ピンク映画の経歴は全く紹介されなかったけれども)が、セーラーコップを特訓するコーチコップ役で熱演。☆☆☆☆☆


#11(水)

◆「世界を理解するためには、ときにはそれに背を向けなければならない。人間にさらによく仕えるためには、しばらく人間と距離をおかなければならない」(カミュ)。

◆相変わらず模様替えと掃除。

黒沢清監督『カリスマ』、観る。前半ちょっと寝ちゃいそうになったが、だんだん凄くなるんだ。普通に考えたらものすごく変な状況に、主人公は投げ込まれていて、観てるほうも「こりゃ変だ」と思うんだけれども、映画を観ているうちに、それが変じゃなくなって、だんだんリアリティーが出てくる。黒沢清がいるかぎり「映画」はだいじょうぶだろう。☆☆☆☆

◆古本屋で、岡本太郎『今日をひらく』『私の現代芸術』、少年少女世界推理文学全集no.14、チャータリス、チャンドラー福島正実訳『あかつきの怪人、暗黒街捜査官』。


#10(火)

◆「例えば、一つの言葉、一つのセンテンスを断言できるなら、そして『私』がいだいている感情を疑わずに<今>はっきりと信じられるならば、どのような『私』達も自らをその感受性や情動や情念において名づけようもでき、あらゆる<ものごと>を確かに自分との関係として語ることもできるのだが。そして自らのなくした風景をなつかしむこともなく<今>の最中に<過酷なやさしさ>を見出せるはずなのだが。そして例えば<私はこれが好きだ>という時のはれやかさを、あの美しい暴力としての決意のさわやかさを持てるはずなのだが。そして<曖昧さ>の中に<私>をそっと知るのだが。十一月の風のように。」(AIDA Aquirax『非時と廃虚そして鏡、間章ライナーノーツ[1972-1979]』深夜叢書社、1988)。

◆一日中模様替え。BGMは空気公団Megoの音響盤いくつか、アメフォン(アメフォンは音もいいけど、初期のアートワーク、パッケージが布だったりして、絶品だったなぁ)、maher shalal hash baz、キリンジ、ベツニ・ナンモ・クレズマー、クセナキス『PERSEPOLIS』、小島麻由美TAMARUcomputer soup、内田房江『消えた水族館』、等々。しかし、結局、模様替えに一番よく合ったBGMは、テレビのワイドショーだった。

篠有紀子『アルトの声の少女』全三巻、読了。これ今まで読まなかったの後悔。深いなー、松浦理英子が篠有紀子について、「思春期の仄暗い迷路の中、成熟への正しい道に半身を預けつつ、もう半身では幼年期と直結した欲望の萌芽よ無邪気に戯れる<少女>の姿を、篠有紀子ほど優しく描く人はいない」(『大原まりこ・松浦理英子の部屋』旺文社、1986)と絶賛していたのも分かる。篠有紀子は読み直していかなければなるまい。☆☆☆☆☆


#09(月)

◆「いっそのこともっとシャクレたい」(長尾謙一郎「おしゃれ手帖」58話)。

◆渋谷レコファンで、yes,mama ok?『CEO』、ブラウニー『B for BROWNIE #2』、パードン木村『ローカルズ』、『Wrk compilation』、『インディーズマガジン』vol.44。

◆『Wrk compilation』は日本のポップスのところに混じってたので、ここにあったんじゃ誰も買わないだろうと思って救出。Wrkについて、「音響のハードコア」というのは佐々木敦の言葉だったか。

◆『インディーズマガジン』vol.44は、大友良英インタビュー目当て。

yes,mama ok?『CEO』、相変わらずゴージャスな音なんだが、ヴォーカルの女子がいなくなってしまって、イマイチ下品さがなくなってしまった。金剛地武志の声も相当好きなんだけれども。yes,mama ok?が信じられるのは、例えば、チープな音をバックに適当にうめいたあとに「あと、これにスクラッチとか、いろいろかませてやっといて、よろしく」と言うだけの曲があったりするからだ。こーいうこと、ピチカートファイブは絶対やらんよな。☆☆☆☆


#08(日)

◆「書いてもまだ男のままであるような詩は、その一篇において、彼がことばも思考をも尽くさなかったことのあかしであろうとぼくには思われる」(荒川洋治「詩は女であらねばならない」『詩論のバリエーション』學藝書林)。

◆Kと新宿へ。模索社で『8ミリ映画製作マニュアル』、『貧乏人新聞』19号、『男のあり方を問う会ニュースレター』3号。

◆懐かしのキョクトウ本舗でポスター、絵葉書を。

◆ディスクユニオンで、三上寛『USE』、ニーネ『うつむきDXOK』、都市レコード『都市ブルーズ』、Terre Thaemlits『means from an end』。

◆テムリッツは日本のポップスのところに埋もれていて、これをここで見つけたからには買わなきゃならないんだろうな、と思って。☆☆☆

◆ニーネは1stの『プラタナスハードライン』を買って、あんまりいいとも思わなかったんだが、店でかかっているのを聴いて、いいかもと思って購入。1stより全然いいじゃん。ニーネ=ピーズ似というのは、確か『TV Bros.』で書かれていて、1stを聴いた限りでは、そう思わなかったが、この『うつむきDXOK』を聴いたら、誰でもそう思うよなー。とくにボーカル、ギターがクリソツ。ところで、POPや帯に「曽我部惠一絶賛」というのがよくあるけれども、もう食傷気味じゃありませんか? ☆☆☆☆

◆都市レコード『都市ブルーズ』はジャケ買いだったが、思わぬ当たり。漂うようなヴォーカル、ハーモニー。メロディー美し。電子ノイズと生音とのカラミもおもしろい。☆☆☆☆

貧乏人新聞』19号、沖縄サミット粉砕デモのためにわざわざ沖縄までいって、「法政は貧乏くさいぞ!」「貧乏人は酒を飲んで暴れるぞ!」とシュプレヒコール。笑える。不真面目さで真面目さに対抗する戦略ってのは、全く正しい。☆☆☆☆☆

8ミリ映画製作マニュアル』は山崎幹夫が大部分を執筆している、愛情あふれるマニュアル。自らの体験が書かれていて役立つ。しかし前にフリマで買ったカメラが、実用としては全く役立たずなダブル8であることが、これを読んで判明。盛り上がっていた8ミリ熱、イッキに消沈。☆☆☆☆☆

◆村上春樹・安西水丸村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』、読了。村上春樹の小説は読む気しないけど、翻訳とかエッセイは読んじゃうなー。『村上朝日堂』シリーズは全く役立たない内容が良い。☆☆☆☆


#07(金)

◆喧嘩。


#06(金)



◆「この無理解という壁を『理解』を前提とする詩人たちは意識したこともないし、かりに見たら見たで、はなから、忘れようとするのですから。」(荒川洋治「完成交響曲」『空中の茱萸』思潮社、1999)。

◆久々に大学にいったら、知らない棟がいっぱいあって驚く。生協で、スラヴォイ・ジジェク『脆弱なる絶対』、平井玄『暴力と音』、『環』vol.3、スチュアート・ホール、ポール・ドゥ・ゲイ編『カルチュラル・アイデンティティの諸問題』。高けー。

六角橋商店街の鐡塔書院で、ピーター・コンスタンティン『ジャパニーズ・スラングの逆襲』、ウォーラステイン『社会科学をひらく』、井手文子『自由 それは私自身、評伝・伊藤野枝』、ニフティ訴訟を考える会編『反論、ネットワークにおける言論の自由と責任』。これも結構高けー。

望月花梨『スイッチ(1)(2)』、読了。先生と生徒の恋愛。禁断ゆえに不安定な。題材としては使い古されたものだが、さすが望月花梨、読ませる。絵に迫力が増してきた。☆☆☆☆


#05(木)

◆「あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相だと思って、お返事下さい。……。/あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。……あなたが、若し労働者だったら、私にお返事下さいね。」(葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」)。

◆Kの勤め先近くの焼き肉屋で、Kと昼休みにランチ。

◆和光のホンダ前の古本屋で、菅浩江『「柊の僧兵」気』、村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』、新井英樹『八月の光』、望月花梨『スイッチ(2)』。


#04(水)

村上隆はあるインタビューで、こう言っている。「コミケでフロッピーを買ってきた。その中には、巨乳の乳首をペニスのように握って、まるで射精しているみたいな女の子の描写がいたるところに溢れていました。制作者は童貞だな、女性と男性のオルガスムスがまるで同じベクトル上にあると思っているんだ、とすぐに分かった」。ペニスの延長としての巨大なクリトリスや乳首。この自己循環の構造を拡大していくと、自分の延長上に世界があるということになる。フタナリには、そのような快楽があるのではないか。

◆久々のBOOKOFF横浜平沼店、西川魯介『SF/フェチ・スナッチャー』、阿部秀司『エリートヤンキー三郎(1)(2)』、富沢ひとし『エイリアン9(2)』、伊藤たかみ『17歳のヒットパレード(B面)』、大工原秀子『老年期の性』、斉藤貴男『カルト資本主義』、レナーテ・クライン編『不妊』、若尾裕『モア・ザン・ミュージック』、灰原茂雄編『労働者支配と職場闘争』、斯波司・青山栄『やくざ映画とその時代』、隅谷三喜男『成田の空と大地』。1500円。

◆ユーロスペースで、ジャン・ユスターシュ『ミュリエルの写真』。写真家が、自らの写真を説明していくだけの映画。映し出された写真と、写真家の語りが徐々にずれていく。例えば、小説で、「わたしはAを見た」という一人称があるときに、それが本当に正しいことなのかどうかは分からない。主語の「わたし」が嘘を付いていないという保証はない。これをネタにミステリーを書けないか。次々に記述が覆されていくような、つまりは小説内で現実と虚構がないまぜになって、どちらだか分からなくなっていくような。しかし、これはよく考えたら、竹本健治の『匣の中の失楽』ぢゃないか。それに山本直樹のいくつかの作品はモロにそれだ。☆☆☆。同じくユスターシュ『僕の小さな恋人』。フランスのガキの自転車の乗りっぷり、いいね。三人乗りで疾走するちょっと長回しのシーンが素晴らしい。またがって足を下にのばしても、地面に足が付かないよう、サドルが高くなっている。これが正しい自転車の乗り方であって、日本の学校で教えるような、地面に足が付くようなサドル位置は間違っている。それにしても、フランスの田舎ってのはエロいなー。☆☆☆☆


#03(水)

◆「私たちはどうせいつも仮装している。ならば仮装すればいい。そうすれば仮装していないことになる」(ボリス・ヴィアン)。

◆二ヶ月以上続いた、Kとの板橋同棲生活終了。その間買った約三百冊の本を、横浜の家へ運ぶために、Nが車できてくれた。古本屋でよく売っているような、安い500円くらいのAVのなかから、パッケージを見てシースルーものをピックアップする名人、N。

◆ついでに、八王子界隈のブックセンターいとうを車で回って、折島正司・平石貴樹・渡辺信二編『文学アメリカ資本主義』、南喜一『ガマの聖談』、田村隆一『詩と批評B』、きだみのる『東南アジア周遊紀行』、荻原裕幸『あるまじろん』、もちずきゆきみ『泣いた紅鬼』、『Be Street』。全部で1000円くらい。


#02(月)

◆「……不快で、しかも邪悪であると認識するもの、またそのために、彼にとってけがれた戦慄すべきものであり、不正で、いやしいと見えるものはすべて、そのものの理解が無秩序で、断片的で、しかも混乱しているから生ずる……」(スピノザ『エティカ』第4部定理73注解)。

◆古本屋で、山岡重行『ダメな大人にならないための心理学』。

◆小原宏裕監督『桃尻娘』。主演、竹田かほり、亜湖。ユウヤさん(ムショ帰り、電車でバッコン)、橋本治(名曲喫茶のボーイ、自作がきデカセーター)も。音楽、長戸大幸、軽快。こーいう気負ってないプログラムピクチャーの雰囲気って、いまはVシネに受け継がれてるのかしら。今だと三池崇史は気負ってなさそうで、暑苦しくなくて、いいね。ちなみに、『桃尻娘』、花くまゆうさくがベスト映画に挙げていた。☆☆☆☆

◆桜が満開の季節。桜というのは、美が過剰に読み込まれるが、しかし何かの美を過剰に読込む人は、同時に何かを過剰に汚いと思い嫌うだろう。そもそも美醜を「区別」するのは何なのか、というよりも、美醜を「区別」し「判定」しているのは何なのか。例えば、公園に住むホームレスが、周辺の市民に対して「公園から追い出すのは差別だ」と主張し、市民が「それは差別じゃなくて区別だ」と言うとき――これは実際に典型的なパターンのやりとりなのだが、このとき、市民は無反省に、差別と区別とを分別する権力に拠ってしまっている。このような思考停止状態に陥らないこと。差異はもちろん歓迎だが、何かの力がからまりついている差異が多すぎる。


#01(日)

◆「森の宝庫の寝間に/藍色の蟇は黄色い息をはいて/陰湿の暗い暖炉のなかにひとつの絵模様をかく。/太陽の隠し子のやうにひよわの少年は/美しい葡萄のやうな眼をもつて、/行くよ、行くよ、いさましげに/空想の狩人はやはらかいカンガルウの編靴に。」(大手拓次「藍色の蟇」)。

◆池袋リブロ、楠勝平『彩雪に舞う…』、小田扉『こさめちゃん』、アーノルド・ローベル『ふたりはきょうも』『ふたりはともだち』『ふたりはいっしょ』『ふたりはいつも』。丸井のヴァージンで、ゲントウキ『お前の足跡』、あとMKオムでスーツ、シャツ、ネクタイ。

◆楠勝平『彩雪に舞う…』。「マンガ全体が繁栄期から停滞期に入ったと言われる今、楠勝平が読み直されなければならない」という呉智英の文句が帯に。この抑圧的な物言い!! うんざりだ。読まなければ「ならない」マンガなどない。マンガはただ無条件に読むだけだ。楠の作品自体はとても良い。若くして病に犯された作家というと、小説では北條民雄が有名だが、楠勝平には北條民雄のような甘えが全くない。いつ死ぬか分からぬ状態で育った体の弱い男が、親族が集まった月見の場で、「この子たちは誰なんだろう」「こうして父や兄さん夫婦姉さん夫婦を見すえているといったい誰なんだろうかときみょうな気持ちになるのです」なんてところ、いい。☆☆☆☆☆

小田扉『こさめちゃん』、あたたかさとクールさのあいまった絵、いい。いくつかあたらしい。例えば、病院で、「入院といえばりんごだ/食うか」。すげーあからさまな言い方なのね。みもふたもないというか。女子高生がさりげなくちゃんと猫背で描かれていて的確。☆☆☆☆☆



3/2001||5/2001


ISHIHARA, Shingo
shingoo@lily.sannet.ne.jp