◆「僕たちと一緒に乗って行こう。僕たちどこまでだって行ける切符持ってるんだ。」/「だけどあたしたちもうここで降りなけぁいけないのよ。ここ天上へ行くとこなんだから。」(宮澤賢治「銀河鉄道の夜」)。
◆テレビをつけたら、映画版『フランダースの犬』をやっていて、やだなぁやだなぁと言いつつ、丁寧な作りで最後まで観せられてしまう。☆☆☆。
◆宮下和子『碧空』(紫陽社、1989)、読了。この人、よく知らないけど、紫陽社=荒川洋治という名で買ってみた。「ハミガキはコルゲート/シャンプーは漢夢草/化粧水はクリニーク/全身洗浄剤はビオレU/二年前から/毎日、こう/せっせ、せっせと/生活技術を磨いている/磨きながら/恋愛感情を育てている」(「日用品」)。この「生活技術」という言葉がおもしろい。確かに「生活」の洗練には「技術」が必要であって、男性と女性の違いって、目指す「技術」の違いかもしれないなー。既婚女性は『素敵な奥さん』で「奥さん技術」、未婚女性は数多の女性誌で、男性は『ホットドッグ』とか『ポパイ』で「モテ技術」を学ぶわけだ。でも肝心の「生活技術」を学ぶ雑誌って、もうないんじゃないか。「技術」なんてなくとも、コンビニがあれば暮らせてしまう。でもそーいう状況って、貧困だよなー。コンビニに頼らず生きるための「生活技術」を磨くこと。☆☆☆☆。
◆自動で高速料金支払いのできるETCシステム。ドライバーが、財布から身銭を切ることなしに料金所を通過できてしまうわけで、これって公団にとっちゃ、高速料金値上げに有利だよなー。
◆ダーリン、ヨッパライで帰ってくる。
◆「血を吐きながら続ける悲しいマラソンですよ」(『ウルトラセブン』)。
◆コンビニで『快楽天』4月号立ち読み。朔ユキ蔵の新連載、相変わらず投げやりな主人公。泣ける。しばらく見なかったうちに、松本耳子はちょっと線が太くなってしまった。櫻見弘樹の絵が好き。単行本は『澱』しか持ってないが、ほかに出ているのだろうか。『モーニング』立ち読み。桝田道也「朝倉家騒動」、欄外も遊んでて、手が込んでる、最高。『GON』の増刊でB級ニュースばかり集めた本、立ち読み。フリーメイソンの受け取り領収書ネタ爆笑。
◆このところ温かかったが、久々に冷える、しかも雨。
◆夕餉、大根煮。
◆「火のそばに砂糖、塩を置くときは、陶器の壷に入れると固まらない。これはうちの母から教わったことです」(小林カツ代)。
◆営団地下鉄脱線事故、営団幹部の責任問われず。なんのための幹部なのか、なんなために高い給料もらっているのか。
◆諌早湾水門、開放漁民と開放反対農民との対立について、フジ「とくだね」の小倉智明、「板挟みになてる大臣の気持ちもわかるけど」。そこでなぜ大臣の気持ちを理解しなければならないのか。例えば、闘争の場において、労働者は資本家の気持ちを理解してはならない。これは当たり前のことだ。しかし、今は安易に理解してしまう。「社長の気持ちも分かる」と。これでは不当なリストラが通用してしまう。理解するとき、理解しないとき、我慢するとき、しないときを分別すること。そのために自らの「(政治的)位置」を決めること。
◆女性専用車両について「それじゃあ出会いががないじゃないか」という男。そーいう男に限って、OLのことを「男を探しに会社にきている」って、批判したりするんだよなー。
◆『美的』、小学館の新創刊女性誌。エッセイ陣、嶽本野ばら、森まゆみ、速水由紀子といった面々。有名所集めてて悪かぁないけど、無難すぎ。「藤原美智子さんが行くバリ」って、他人がバリ行ってるの見て、おもしろいのかしら。「ニューヨークで暮らして、東京と往復する生活をしている私にとって、ダイエットは大きなテーマです」とか、「メーク直しは1日約20回」とか、なんか現実とのかけ離れかたがあざとくないか? 決して手の届かないわけじゃないと読者に思わせる高さ。そんな中途半端を目指すなら、おれは『non-no』とか『マッツ』の地に足付いた感じのほうがいいね。
◆ブルトン「バレスのほかに、大豚野郎の名前をあげることができますか」/ツァラ「はい、アンドレ・ブルトンです」/ブルトン「証人はまったくの白痴とみなされたいのか、それとも精神病院にいれられたいのか」/ツァラ「私は全くの白痴とみなされたいと思います。私の言葉は私のものではありません。私はあらゆるひとの言葉をもっています。それらをよく混ぜあわせて、ちょっとしたブイヤベースを作るのです」
◆緑川ゆき『あかく咲く声(2)』。超能力者を好きになってしまう普通人。「あかく咲く声」に限らず、彼女の作品の骨格はほとんどこれだ。緑川ゆきはひとつのことを抱えていて、それを作品として繰り返し描いている。表現者としてとてもいいことだ。☆☆☆☆☆。
◆吉原由起『ダーリンは生モノにつき(1)』。お得意のエロ・コメ、笑える。☆☆☆☆。
◆あとり硅子『光の庭』。何でも出来てしまうから何にでも無関心。夢中になれるものが何もない優等生の兄の体に、宇宙人が入り込んでひと騒動。星里もちる『わずかいっちょまえ』、『エスパー魔美』高畑さんの系譜。☆☆☆☆。
◆大西隆志『オン・ザ・ブリッジ』(思潮社、1994)、読了。選びぬかれた言葉たち。ベストは「マリンガ」。「豪雨のなかを走り抜けていく/帰りを急ぐが/ほんとうに帰っていく場所ではない/ブラジルのパラナ州の赤い土壌を眠らせて/ワイパーでは追いつけない時間が/窓と暗闇を傷つけていく/野原から立ち昇る/ぼくらのワゴン/どこまでものびていくハイウェー/稲妻は雨季を呼び/地平を浮かび上がらせるだけではないようだ/ぼくはきみたちとの距離を曖昧にして/いまだ/密林のなかを蛇行する川で/船外機を止めたときの静寂の配置に/まどろんでいたのだった/はっきりしない言葉が/いつも頭上で鳴っているといったことも/忘れてしまっていた/閃光は断片でしかなかったものを繋げ/一瞬を保留させる/すべてのことが輪郭を持ち始める/支えるもののない/世界の狭さと広さ/きみたちがいるというのに/ひとりだけで始めるしかないのか/体が感じる空間へ/流れ込んでくる/舟大工の猥褻な歌や/イタリアからやってきた家族の視線/身寄りのない日系一世の勝ち組みだった老婆/強い陽射しのなかの薄闇/ベンチで何度も何度もピラーニャの顎を潰す/顎が潰れる音に安心している/安心することって/何かを崩していくことなのか/ぼくの胸は悔しさで一杯になる/さまざまな事態に迷いながら/しかたなく/前へ前へと押し出していくのが/人生に秘められた/ふとした知恵だってことを/たぐりよせたかったよ/幼年期の/ソファに寝そべったまま/幾度となく/仮の土地へ帰ってきているのは/あのとき以来の病だ/マリンガ/マリンガ/少女の名を持つ街が/豪雨を抜けると/あらわれてくるってことが/ちょっぴり/悲しいのだ」(「マリンガ」)。『non-no』NO.7に、「贈る『詩』贈る『言葉』」という詩の特集があるんだが、やっぱり相変わらず、326とか相田みつをなんだ。うまく詩を批評すること――例えば既にいないが松下千里のように――は自分にはできないが、326とか相田みつをなんかを詩と呼べないことくらいは分かる。☆☆☆☆☆。関係ないが、『non-no』の表紙って、あか抜けないな。
◆「60年代には私も『我々』と言いました。然し今は『私』としか言いません」(ヴィンコ・グロボカール)。
◆佐々木浩久監督『発狂する唇』。脚本は『リング』の、いや黒沢清監督『復讐』の高橋洋。脇に下元史郎、吉行由美、諏訪太朗、大杉漣といったピンク映画のベテランを配し、主役は三輪ひとみ。兄の殺人容疑を晴らすために三輪ひとみが霊媒士を呼ぶ。被害者を降霊したりして、お約束でカミナリが鳴り響いたりして、いかにもな音楽だったりして、こりゃあ、正統B級(これ、変な言い方か)ホラーを狙ってんのかなと思いきや、常道をどんどん踏み外していく。怪作。☆☆☆☆。
◆亀井文夫『たたかう映画』、読了。降ってきた焼夷弾の油脂を、食事の火に使うのんきさ
!! 自分の敵が一番自分を理解してくれているという皮肉。ジンメルが言う通り、一番の敵は「無関心な人たち」なのだろう。☆☆☆☆。
◆「恋愛が始まるときはいつも素晴らしいのです。途中はもっといいのです。終わりのほうは、どっちが先に飽きるかによります。……。<あと>のほうになると、頭と体はもはや融合しなくなるのです」(F・サガン)。
◆「アロエリーナ」のCM、「火傷する恋はイヤなの」と唄う奥さんタイプ。「南アルプスの天然水」、山の川辺で、高校生か中学生の女性徒が演劇の練習をしているCM、ぐっとくる。あれ、ヤバイ。「君と一緒なら、僕はどこまでも汚れてやる」「嘘だ、君の心はこの川のように澄んでいるんだ」「澄みきっているんだ」「…澄みきっているんだ」
◆保坂和志『猫に時間の流れる』、読了。「それで道で見かけたときのクロシロはほとんどいつもどこかを目指しているみたいにトットットットットットッと足早に歩いていて、後ろから僕たちを追い越していったときも前からきてすれ違ったときも、クロシロは必ずいったん立ち止まってぼくたちを見、そしてまた続きを歩いていく」(81頁)。これと同じような「続きを歩いていく」描写がもう一個所あって、この「続きを歩いていく」という言葉が何か新鮮に響いた。「続きを歩いていく」感じが全編に漂う小説。☆☆☆☆。
◆「もう何も書く必要はないはずだ 私の(他者の)名でさえも 何も書く必要はないはずだ もう、と呟きながら生垣の封印を巡れば人のあるところイラいらくさは繁茂する」(城戸朱理「祭文」冒頭)。
◆山下ゆたか『ノイローゼ・ダンシング』、不良ケンカもの。渾身の作、ゆっくり味わいつつ読む。マンガについてこーいう言い方は愚だが、『ビーバップ・ハイスクール』を散文的とするなら、この『ノイローゼ・ダンシング』は詩的。☆☆☆☆☆。
◆加藤伸吉『流浪青年シシオ(2)』、☆☆☆☆。
◆『ルチル』vol.6。今市子は相変わらず端正な絵を描く。梶原にき「秋の音」、画面の白さに強弱のメリハリの強い輪郭線。上品な佳作。テクノマサダ、山田ゆぎもいいけど、この号のベストは、竹美家らら「いとしいとしというこころ」。絵の陰影が良い。物語は捨象度が高くぼやかされている。母親の殺人現場を見てしまって、記憶喪失に陥った少年。喫茶店の窓から、向かいの店の女性を見ている。「目があったら全てがなくなってしまう」と思いつつ。☆☆☆☆☆。
◆平本アキラ『アゴなしゲンとオレ物語(1)』、一巻も十分面白いが、ここからさらにおもしろくなるのだから凄い。☆☆☆☆☆。
◆CHOCO『イグナクロス零号駅』、話の内容は正統派少年マンガなんだが、コマ割とか画面構成が少女マンガに近い。絵はこれ以上はないだろう程完成された繊細なアニメ絵。☆☆☆☆。
◆近藤ようこ『春くる鬼』、思わず涙が出てしまいそうなほど。☆☆☆☆☆。
◆ささだあすか『ストロベリーチョコレート』。アイドルが主人公。初めてのドラマ出演にとまどうが、共演の少年と出会い……。ささだあすかは、こーいう芸能界とかっていう、派手な舞台は必要ないんじゃないかと思うんだが。☆☆☆。
◆もちづきゆきみ『夏のおとぎばなし』、☆☆☆。
◆「僕はしぜんが欲しかった/やがて革命が起こるだろう/発狂をしないように/小さな子供を/草に転ばせる/冷たい地獄のこの暑さよ/僕は色々な旗を持っています」(豊原清明「緑」『夜の人工の木』霧工房、1995)。
◆三上寛『女優』、ここ2ヶ月くらいよく聴いている。「横浜の映画館で加賀まりこの映画観たさよならさよなら/さよなら今日からは僕の『運』で」「釜山の映画館で藤竜也の映画観たさよならさよなら/さよなら今日からは僕の『運』で」(「僕の運」)。聴いたとたんに決定的に一つの風景が立ち上がる。こーいう歌詞は最近の曲にはない。記憶が蓄積されず切断されてしまっているからだ。大熊亘が言うように、JPOPというのは、過去をなかったことにしたい音楽なの? キリンジはJPOPの範疇ではないなー。三上寛とキリンジはどこか似ている。
◆夢その1。現実には10年近く会っていない父親と会った。父親の車の中で、何か会話をする。対等に話す。ああ「人と話す」とはこういうことかと納得する。
◆夢その2。ビル火災、屋上に逃げる。避難用の筒状の滑り台みたいなのを地上におろして、それで滑り降りようとすると目が覚めた。
◆ときどき掘り出し物の本があるリサイクル屋で、バルビュス『地獄』、辰野隆『佛蘭西文學(上)』、遠山啓『数学入門(下)』。ここで前、岡本太郎のサイン本を百円で買ったりしたのだった。
◆要町ブックオフにて、加藤伸吉『流浪青年シシオ(2)』、あとり硅子『光の庭』、『ルチル』vol.6、平本アキラ『アゴなしゲンとオレ物語(1)』、奥瀬サキ『コックリさんが通る(2)』、山下ゆたか『ノイローゼ・ダンシング』、CHOCO『イグナクロス零号駅』、近藤ようこ『春くる鬼』、吉原由起『ダーリンは生ものにつき(1)』、ささだあすか『ストロベリーチョコレート』、もちづきゆきみ『夏のおとぎばなし』。以上マンガ。
◆本は、前本彰子『一緒に行こうパラダイス』、上野千鶴子『私探しゲーム』、PLO研究センター編『パレスチナ問題』、若林幹夫『熱い都市冷たい都市』、ベティ・フリーダン『新しい女性の創造』、東京管理職ユニオン『たたかう会社員』、エリーザベト・ベック=ゲルンスハイム『出生率はなぜ下がったか』、宮下和子『碧空』、あと雑誌『FREAK OUT』3冊。
◆CDシングル、Shavagutchies『愛は本気でするものさ』(音楽はどうということもないが、上村一夫の絵を使ったジャケットが良し)、メリーメリーマリー『アイシアイマショウ』、ゆらゆら帝国『ゆらゆら帝国で考え中』。
◆「男は誰もみなバイセクなのさ。だってペニスいじってオナニーするだろ」(ボーイ・ジョージ)。
◆『アワーズライト』5月号、読了。オオシマヒロユキ+猪原大介「なるとちゃん出前一丁」、さすがオオシマヒロユキだけあって、とても心地よい絵だが、お話がありきたりといえばありきたり。目玉は、あびゅうきょ「絶望男は希望羊の夢をみるか?」。あびゅうきょが連載してるなんて知らなかった、いかんいかん。やはり、あびゅうきょの絵は圧倒的。小野寺浩二「妄想戦士ヤマモト」、おたくのカリカチュアもの。これ、おもしろい。岡田斗司夫のオタク論が、おたくの有用性を強調し、既存の社会におたくを組み込もうとしていたのに対し、小野寺はおたくが全く不必要な人間であることを力強くギャグとして描いている。宗像明将の音楽コラム、雑誌の音楽紹介コラムとしてはレベル高し。『CUTIE』の小田島久恵に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。少なくとも言いたいことがあるということが伝わってくるし、分かりやすく、しかも紋切り型を逃れつつ、それを伝えようとしている。☆☆☆☆。
◆ときわ台近くの中古レコード兼古本屋、『ゴダール映画史(1)(2)』、日本生活心理学会『性幻想の肥大と性の自己観察』、保坂和志『猫に時間の流れる』、全部で千円程。
◆夕飯、鶏肉にんにく焼。
◆『週刊文春』3月29日号、緊急提言「25賢人超法規的日本再生計画」、パラパラと読む。まともなことを言ってるのは、橋本治と吉本隆明くらいか。橋本治は、戦争による消費に頼った大量生産はもう止めにしよう、あとオレの借金棒引きしてくれと言っている。林道義、河合隼雄、山田昌弘あたり、またどうしょうもないことを言ってるのだが、こういう人たちが社会的に高位置にいるんだから、本当にどうしょうもない。山田昌弘は、不公平さをなくすため、介護することなしに親が死んだ子供には、社会活動として介護に奉仕する任務を負わせる、パラサイトシングルから居候税をとるというが、負荷を増やして平等にしようとする発想がおかしい。経済なら金子勝、精神医学なら中井久夫、宗教なら山折哲雄より湯田豊に聞くべきだろう。黒澤優のグラビア、自然光の当たり具合が絶妙でいい写真。
◆「思いきって僕に/宇宙がかきみだせるか」(T・S・エリオット)。
◆山川直人『赤い他人』再読、山川直人の絵は、例えばTAGROに代表されるようなアニメ絵の先駆ではないだろうか。☆☆☆☆。
◆橋本みつる『幼い恋』、読了。橋本みつる、いままで2冊でてるが、これが一番。目の描き方独特、初期の高橋葉介チックな目。従来の少女マンガの「文法」より進化している。コマによる新たな感情表現、大コマによる開放感。マンガは、映画のように、風景をカメラで切り取るのではない。マンガにはカメラ=コマしかなく、その外に風景はない。橋本みつるを読むとそれが分かる。☆☆☆☆☆。
◆NHK深夜「人間ドキュメント・ピカソからの宿題、画家イマイの格闘」。全然知らなかったんだが、世界では有名なイマイのドキュメント。70後半で癌を患っているが、毎日描き続け、自らのスタイルを常に壊し続けていく、まだこんなエネルギッシュな画家がいたとは。平山郁夫に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。ベーコンの不安感と岡本太郎の生命力が融合したような「コギャル・シリーズ」が凄い。歳をとると丸くなるもんだが、これは、とても癌で死亡宣告されてる人の作品とは思えない。
◆「世の中の悩みをみんな受け入れる気はあります」(酒井若菜)。
◆「どうなってるの」浮気の言い訳ベスト10より。◇「いいかよく聞け、お前はご飯なんだ、おまえは米なんだ」。◇浮気現場を妻に発見され、「あんた、その女なによ」、夫「えっ、おまえにも見えるのか」、と女を幽霊にしてしまう。◇「おれは悪くない。DNAだ、DNAが司令を出すんだ」。◇PHSに浮気相手からのLOVEメール。それを見た妻に対する夫の言い訳「いままでお前にだまってたけど、実はオレ西側のスパイなんだ。あのメールは暗号なんだ」、妻「じゃあ、あれはどういう意味なの」、夫「それは言えない」。◇妻「スカートはいた人と歩いてたって聞いたのよ」、夫「あ、あれはヒロシだ。ヒロシなぁ、実は、スコットランド人なんだ」。◇あと、前に見ておもしろかったやつ。浮気相手と二人でベッドにいるところに、妻が踏込んで来る。夫、驚いて、思わず電気を消す。妻「なによ、なんで電気消すのよ」、夫「いや、電気消したら、一緒に、お前も消えるかと思って……」。
◆中板橋商店街古本屋にて、『プレイボーイ』NO.13、『ダ・ヴィンチ』3月号、購入。
◆『プレイボーイ』ってのは、これだけ大部数出てるのに、多分、編集部員が片手間に書いてるだろう、全く無意味な、ときに悪質な記事ばかりだという不思議な雑誌なんだが、ときどき、いい記事がある。多分ルポライターを目指す若手ライターが、ときどき書かせてもらえたりするんだろう。
◆『ダ・ヴィンチ』は漫F画太郎インタビュー。インタビューのまとめ方が上手くて笑った。とくに最後、「漫F画太郎『僕は「地獄甲子園」に関しては全く後悔していません。本当に精一杯やって完全燃焼しましたから、大満足です!!』/インタビュアー『しかし、結果的には「まんゆうき」「地獄甲子園」と2度続けてコケたことになりますよね』/漫F画太郎『はい……』/インタビュアー『それでその後「コミックバウンド」で「ハートフルカンパニー」を連載』/漫F画太郎『そうです』/インタビュアー『しかし、5号で廃刊に』/漫F画太郎『……』/インタビュアー『今後の予定は?』/漫F画太郎『ありません……(声をふるわせて)』/インタビュアー『ありがとうございました』」。
◆古本屋で、カスケード『イエロー・マジック・タイフーン』『80*60=98』、500円。白井良明プロデュースの音もいいけど、なにより、カスケードの歌詞って素敵。
◆夕飯、さといも煮。
◆「龍膽寺雄という全く初めてヘンな名前の作家の『放浪時代』を読んだとき、私は驚き、うなり、胸を揺さぶられるものがあった。商店の飾り窓用の絵を描いて暮す美術学校出の主人公Uと、夜の雑踏に望遠鏡を据えて月の観望客に宇宙の謎を説明する友人曽我と、その妹である魔子のうずくような愛情にまず心魅かれるのだ。魔子は自由で天衣無縫だ。Uと魔子は兄弟以上に親しく、無造作に口づけもするが、決してそれ以上に踏み入らない。それは思わず溜息の出るような美しさである。彼らは貧しいが、生活感情は豊かで、非凡な明るさを有している。…略…私はある少女を愛した。私は口づけ以上のことをしなかった。やがて別れなければならなかったが、私は後悔しなかった。『放浪時代』の主人公と魔子とのことがいつまでも美しく尾を引いて私の胸の中にあった。中年の時も、初老になっても人を愛し、愛されたこともあったが、私の姿勢は崩れることはなかった。…略…「放浪時代」の本物の愛情こそは終世忘れ難い」(『龍膽寺雄全集第二巻』月報1より)。
◆『CUTiE comic』4月号、読了。やっぱ羽海野チカ「ハチミツとクローバー」、朝倉世界一「地獄のサラミちゃん」、いい!! かわかみじゅんこ「アーニィ」、予測不能なところがかわかみじゅんこの魅力なのだが、この短編は理詰めで考えすぎてる。蘭わかば「ブラストビート、止めないで。」、笑った。これ今月号で一番好き。☆☆☆。
◆「恋はいつでもこわい童話ね/毒のリンゴをかくしてるのよ/だけど終わりは Happy End/必ず甘くキッスして 幕が降りるの」(松本隆)。
◆昼、KとKの友達Mと池袋ルミネのMAHIMAHI。
◆青山ブックセンター、ナンシー関スタンプ会。唯一<読める>音楽誌『エスプレッソ』10号購入。『エスプレッソ』と、あと、タワーレコードで無料配布の『ミュゼ』『バウンス』を押さえておけばいい。
◆『インパクション』K購入。
◆夕飯、大山駅近くの寿司おんど。
◆ブックマートで『TV Bros.』百円。
◆『インパクション』123号、読了。特集「『癒し』からの開放」。崎山正毅・斎藤純一・酒井隆史・西野瑠美子、座談会「『癒す者』と『癒される者』の間の形が、完全に権力関係になっていること……社会化され反復されるばかりの『癒し』の蔓延……」(10頁)。「ロバート・ペラーというコミュニタリアンたちは『心の習慣』という本で……言っています。二十世紀の後半をアメリカが支配したものが二つある。ひとつは官僚的マネージャリズム。もうひとつはセラピー文化である、と。そして両方とも論理は一緒だと言うんです。つまりその両者の共有する論理は、『ワークするかしないか』、『機能するかしないか』だと」(27頁)。小倉利丸「ノイズと資本主義」、「デジタルの0と1に還元できない雑然とした曖昧さ、ハイビジョンでなくビルの谷間にノイズとともに送信される時代遅れの地上波のテレビ映像、微弱なFMラジオ電波、こうした環境のなかに、むしろ新しい創造性を見出すことができるかもしれないと思っている」(41頁)。木下誠「スペクタルの癒し」、「『癒し』のイメージ化、商品化の中で、苦痛の原因であるはずの具体的な病と暴力に対する個々の感情は曇らされ、忘れ去らされて、一般的で抽象的な感情にすり変えられる。あるいはむしろ、『癒し』を商売とするまさに卑しい者たちは、『癒し』という合言葉を唱えることで、逆に『苦痛』を作り出し、『苦痛』を持つことを人々に強制している」(62頁)。
◆「あらゆるものの価値が崩れ、私たちをふいに自由が襲った。私は用心深く、この自由をのりきるために、形式を必要とした」(寺山修司)。
◆『現代詩手帳4月臨時増刊・寺山修司[1983−1993]』パラ読み。黒川創「誤解される権利」、「当時の『前衛』派たちの映画作品の多くは、たとえば『情念』という流行の符丁にもたれかかることで、観客とのなれあいに依存した。それは、なかなかお人好しな態度ではある。しかし、そのような作り手−観客の『関係』は、符丁の一次的な流行が終わってしまうと、あとはぐずぐずに崩壊するしかない。そこには、『定型』との持続的な葛藤、形式への緊張した姿勢がないのだ」(101頁)。リバイバル公開された際、誰もが誉めていたけれども、足立正生の『鎖陰』を評価できないのはそういうことなのだ。
◆青木雄二・佐高信『「腐れ資本主義」の世を生き抜け』読了。愚直なマルキストと揶揄されたりもするが、青木雄二が売れているということは、受け取る側が青木雄二の言うことに何かリアリティを感じているはずだ。ただ、マルクスも陥った植民地主義的な発想を青木雄二も反復してしまっている。つまり、資本主義を批判する仕方が、資本主義的な思考からなされてしまっている。☆☆☆。
◆筒井康隆『筒井康隆の文藝時評』読了、☆☆☆。「つまり方法論とはそれを破壊するために仮構されるものの謂であろう」(80頁)。これ基本。仮説は書くことによって破壊されねばならない。
◆遠藤淑子『山アラシのジレンマ』『王室スキャンダル騒動』『夢みる佳人』『南から来たインディラ』『退引町一丁目15番地』『退引町お騒がせ界隈(1)(2)』読了。エヴァンジェリン姫シリーズは説教くさい。『退引町お騒がせ界隈(1)』がギャグとしいちばん出来がいい。☆☆☆。
◆ワイドショーのテロップ。美女を射止めた野獣・パパイヤ鈴木。
◆夕飯、カレー。
◆フジ「どうなってるの」、コンビニ珍事特集。コンビニのレジ、店員がいないので、呼んだらなかなかでてこない。やっと奥からでてきたら、店員、血まみれ。うつろな目で「いらっしゃいませ」。客が思わず「だいじょうぶですか」。店員「……さっき万引犯人と格闘して、……いま、奥で縛ってます」。奥で縛られてる店!!
◆「郁恵井森お料理バンバン」、納豆そぼろ。納豆とネギと挽肉を炒めて、味噌砂糖で味付け、納豆をちょっと焦がすといいらしい。
◆ロビン西『ポエやん』読了、☆☆☆☆。
◆『いいとも』見てたら、大橋マキ(あの顔が好き)が、食べ過ぎで昨夜二回吐いたとのこと。
◆大山駅近くのブックマートで、『筒井康隆の文藝時評』、青木雄二・佐高信『「腐れ資本主義」の世を生き抜け』、小松左京『鳥と人』、荷宮和子『宝怩フ快楽』、『CUTiE comic』4月号、全部一冊百円。中板橋商店街の古本屋で、遠藤淑子『山アラシのジレンマ』『王室スキャンダル騒動』『夢みる佳人』『南から来たインディラ』『退引町一丁目15番地』『退引町お騒がせ界隈(1)(2)』、みやぎひろみ『まりこのま』、森下裕美『荒野のペンギン(1)』、三冊百円、全部で三百円。
◆ダーリン会社の飲み会なので夕飯作るのやめて、カップ焼きそばですます。
◆テレ朝「ミュージック・ステーション」、なぜだろう、川本真琴が痛々しく見えた。
◆『零式セレクション(1)』読了。雑誌『零式』のセレクション単行本。やはり上連雀三平、目黒三吉、大暮維人、みほとこうじがダントツ。とくに、上連雀三平。☆☆☆☆。
◆TBS『S.O.S』最終回、なんだかなぁ、また演説かよ、ワンパターンだなぁ。
◆オーネット・コールマン、JAZZの「遅さ」、ユーロビートの「早さ」、ファンキー、反テクノ論、テクノのリズム、The ピーズのハル曰く「『みんな踊れよ』なんて曲はやってないじゃないですか。『みんな楽しもうぜ、朝まで何もかも忘れて踊ろうぜ』なんて、そんなのやってない。『なんもかんも忘れて…』なんて、そんなのやってない。『なんもかんも忘れて』なんてそんなのは許さなかった、オラは」(『オレモリ』2号)。「つながりたければ、私を見るな」(寺山修司「旬」)。上野俊哉のレイヴ論。
◆岩館真理子『遠い星をかぞえて』読了。他の岩館作品にも言えるだろうが、父親の存在が母親に比べると薄い。父-娘でなく母-娘。母親の圧倒的な存在感。☆☆☆。
◆夕飯、まぐろレア焼き白髪ねぎかけニンニク風味。
◆「世の中がくせえ/世の中がくせえ/そりゃ おいら一週間フロ入ってねえさ/そんなこっちゃないんだ/世の中がくせえ/にんにくむいたら/にんにくのにおいがとれないのさ 」(作詞・石原進吾)。
◆朝から工事の猛爆音で死む。
◆広末ページのデザイン一新。ウェブデザインは部屋の模様替えと似ている。制約の中で、いかに快適を追求するか。
◆ときわ台近くの雑貨屋でマグカップ、ホワイトデー用に購入。
◆中板橋中央図書館、しかし一応23区の中央図書館だというのにこの貧素さ。Ornette Coleman『THE SHAPE OF JAZZ TO COME』、藤井尚之『教祖誕生』、ブライアン。ウィルソン『駄目な僕』を借りる。
◆その近くの古本屋で、『岩波講座現代社会学24民族・国家・エスニシティ』、村上泰亮『新中間大衆の時代』、ポーリン・オリヴェロス『ソニック・メディテーション』、藤原カムイ『創世記T』、篠有紀子『アルト声の少女(2)(3)』、岩館真理子『遠い星を数かぞえて』、由貴香織里『少年残像』、全部で300円。5冊100円のマンガばかり買ってると、時代遅れになっちまうか。
◆『週刊プレイボーイ』のフリーター讃歌、フリーターであれと煽る記事、反体制ぶっているが、実際には逆効果だろう。フリーターが増えるということは企業にとって、安い使い捨て人材、しかも、うるさい組合などとは全く無関係な人材が得られるということのだから。たとえそうだとしてもフリーターが増えることはのはいいことだと思うが、その思想・政治的態度が『プレイボーイ』では全くダメだ。フリーターから会社設立、社長になった人というのが紹介されていたが、それではフリーターでいることと矛盾している。目標が会社社長のフリーターって一体……。なるべく資本主義に乗らないよう、資本主義に「薄く」抵抗するのがフリーターじゃないのか。今回の『プレイボーイ』の記事でもそうだが、フリーター=自由というのが常套手段として持ち出される。それは本当か。フリーターほど現在の社会で不自由な存在はいない。フリーター=自由などという幻想に惑わされず、その不自由さを自覚したフリーターでなければならない。あと、組合とは違う仕方で群れること、これ重要。
◆夕飯、大根煮物。
◆「お兄ちゃん聞こえるよ。菜の花の声が聞こえる」(『将太の寿司』における小橋めぐみの名科白)。最近見ないな小橋めぐみ。
◆NHK『スタジオパークからこんにちは』ゲスト、小松亮太。全く小松亮太はエネルギッシュで偉い。自分と正反対。
◆岡崎京子『愛の生活』読了、何回も読んでるけど、やっぱりいいなぁ。全体的に白い画面に、ときどき黒ベタに白文字のモノローグ、悲しみが際立つ。☆☆☆☆。
◆大山商店街に新しく百円ショップ発見。「百円均一」というのは庶民にとって幻惑の響き、「食べ放題」と並んで。キャンドゥなど大手の直営店は、置いてあるのがキャンドゥの物だけなので新鮮味がない。それ以外の百円ショップがおもしろい。この店では、他では見たことのない「カード収納ボックス」というのが売っていた。定価350円とあるので、初めから百円で売ってた訳ではない。倒産した会社から流れてきたのだろうか。
◆大山駅近くのブックマートにて、橋本みつる『幼い恋』、吉本隆明『超資本主義』、末井昭『素敵なダイナマイトスキャンダル』(筑摩文庫じゃなくて角川の方)、森絵都『ダイヴ』、以上一冊百円。CDはザ・スターズ『トゥディ』を1000円。こんなとこに阿部薫とか、モダーン・ミュージックのCDがあるとは珍しい。
◆テレ東『爆笑難問題』ビデオ録画。バラエティ番組でビデオに録るなんて、本当に久々。『爆笑難問題』群を抜いておもしろい。太田、全盛期の松本人志を超えた。内山童貞発覚。
◆「幸せになりたい、けど早く死にたい」(カンパニー松尾の名テロップ)。
◆中板橋商店街古本屋にて、伊部純子『いいんだ朝子、そのままで』、松井雪子『スピカにおまかせ』、山野一『貧困魔境伝ヒヤパカ』。全部で700円。
◆『貧困魔境伝ヒヤパカ』、これ以外の山野一は全部オリジナルで持っているのだが、これだけどうしても手に入らなかったので、やむなく再版を購入。初版とくらべて再版のあとがきはかなり文が混乱している。もっと理性的な人かと思っていたが。☆☆☆☆☆。
◆松井雪子『スピカにおまかせ』読了、☆☆。
◆この前買った日本酒、「樹の上の猫」、甘くてフルーティーで美味。あっというまに飲み干してしまった。
◆「生きていたくない生きていたくない生きるのも死ぬのも恐い」(『グリニッジヴィレッジの青春』)。
◆城南予備校のポスター、ちょっとすねた感じの表情の女の子いいねぇ。
◆タイム涼介『日直番長(4)』再読、最終回を読むたびに泣けてくるのは、坂口尚の「3月の風は3ノット」で、少年が学校から外へ疾走していく名場面をを否応なく思い出してしまうから。なぜタイム涼介と坂口尚が繋がるのか、我ながら不思議なのだが。☆☆☆☆☆。
◆「<もう生きてなんかいたくない!>と、ジュリエタ・マシーナ扮するカビリアは泣き叫び、その下の根の乾かぬうちに、祭の陽気な行列にまきこまれ、笑い始めていたのだよ、涙と笑いのどちらが幻想かと問う馬鹿はいないだろう、甕の中にぶらさがって暮らしていたターマエの巫女は<死にたい!>と言ったそうだが、荒地で生きつづける人間をたくみをこらして描き出す詩と称するものの歓びも、カビリアのからだから生まれる変幻する感情の単純さにその根を下ろしていると思わないか、<生きていたくない!>と言えることの逆説的な喜び、そう言える唇と舌と咽喉と心をもつことこそ生の証しなのだが、それはまた死の証しでもある、いつか死ねることの慰めを歌っていけない理由がどこにあるだろう、……」(谷川俊太郎「いつか死ねることの慰め」より)。
◆古本屋で、呉智英と宮崎哲弥の放談本、立ち読みしたら、胸くそ悪くなってきた。あれをおもしろがって読む読者がいるのか。☆。
◆ブラジャ→パイ隠し、パンテ→××××隠し。
◆昨日とは違う中板橋商店街の古本屋で、『CUTIE comic』2001年3月号、150円。さっそく読了、小野塚カホリ「ソドム」、「手いれて……子供産んだんだし入るよ」って、すげえことになってんなCUTIE。
羽海野チカ「ハチミツとクローバー」、これは絵、シリアスな表情じゃなくて、ちょっとギャグっぽい表情が生きている。朝倉世界一「地獄のサラミちゃん」は演出のうまさ、山本ルンルン「シトラス学園」は独特の絵がかわいい。桃生薬子「Because I Love You」、目の描き方に魅力がある。渋谷A子「薔薇色のみっちゃん」、占い師のカードがいつも笑える。今回は「友和百恵」。あとさ、小田島久恵の音楽紹介、文結び「……ごまかしのない魂の叫びがここにある」って、あんた……、典型的な『ロッキング・オン』文体……なんか大きいこと言って最後まとめるって、大学生の論述にありがち………凄いこと言った気にはなって、書いてる本人は気持ちいいんだろうけど……何か言ってそうで何も言ってないというか、ねぇ……。☆☆☆。
◆C・マクガイア、C・ノートン『完璧な犠牲者(上)』(中央アート出版、1992)読了、二十歳で誘拐され、セックス奴隷として7年監禁されたコリーン・スタン事件のノンフィクション。いったん監禁され、暴力の脅しで逃げないよう洗脳されると、たとえ自由にされてももう逃げることができなくなってしまう、つまり「完璧な犠牲者」になる。☆☆。
◆昨日今日とCASCADEがヘヴィーローテーション。
◆ラッキー食材、青海苔。ラッキーグッズ、ブロンズ像。
◆中板橋商店街の古本屋、片岡義男『青い色の短編集』、野坂昭如『姦の研究』、N・ルーカス『セックス・キラーズ』、C・マクガイア、C・ノートン『完璧な犠牲者(上)』、『クイックジャパン』19号、『音楽誌が書かないJポップ批評2』、全部で400円くらい。
◆『クイックジャパン』19号、パラパラと読む。佐内政史インタビュー、「放課後の、音が遠い感じ、あれ、ダメ」。確かに、例えば夕暮れ、放課後、人のいない教室、自転車置き場、遠くから聞こえる合唱部の歌声……、このシュチエーションには抗いがたいものがある。然し
坂口安吾が宇野浩二の家を訪ねた帰り、「音楽学校の稽古の音が怒りを和らげる目的のように甘ったるく流れかかってくる。そういうものに甘やかされるほど俺の根性は甘くないぞと、私は益々腹を立てて帰ったように覚えている。」(「お喋り競争」)。あと加藤治郎の『サニー・サイド・アップ』(雁書館、1987)より、「二階から妹たちのコーラス聞えて もうしばらくで腐り始める」。
◆白菜鍋。
◆『音楽誌が書かないJポップ批評2』、しかしこれが「批評」なのか。別冊宝島、薄くなった、内容が。
椎名林檎、『ヒット曲』
宝泉薫「コムロには、恋愛感情がなくなるとマニアックな方向へ走る傾向も見られる」(125頁)。「(土屋昌巳が)『TAKUROくんに、どんなつもりで歌を作ってるのかって聞いたら、"キャンプファイヤーでみんなで歌える歌でしょう"って言うんですよ。"友達と山に登って歌える歌がいい"って。あれはショックでしたね』」(214頁)。うーん。☆☆☆。
◆ウルリーケは彼女のテーブルにわたしを招いた。/ひとりで散歩するのが好きだと言った。/ わたしは、ショーペンハウアーの冗談を思い出しながら、答えた。/「ぼくもです。二人で一緒に出かけられますね」(ボルヘス『砂の本』)。
◆昨日ダーリンの買ってきた、
内田春菊『私たちは繁殖しているピンク』読了。子育てものにもかかわらず母性讃歌ではなく母性批判、さすが。☆☆☆☆。
◆なぜだか毎日『女優・杏子』観てしまう。
◆深沢七郎『ちょっと一服、冥土の道草。』(文藝春秋、1983)再読。
「私の滅亡教は、あまり働かなくて、生活程度を上げないこと。働くことはイヤなことなら寝ていること。ただし、働くことがたのしければ大いに働くことだ。生きていくには社会性を持たないで孤独になりなさい」(41頁)。
「阿部定という女性は好きな恋人を殺して、男のシンボルを切りとってしまった悪い女です。が、調書を読むと、彼女の生いたちは実の両親からも、いろいろな人たちにももみくちゃにされたような道を歩いてきたのです。それでも彼女は運命にまかせて、哀しいことに出逢っても、のんびりとしているのです。彼女ののどかさは孤独な者のただひとつの武器だと思うのです」(64頁)。
「オスとかメスとかの人間のちがいなど、そんなちがいはないのです。スズメやムクドリなど、よく、我が家のそばに来るのですが、みんな同じような顔をしているので人間もスズメもムクドリも私には種類の別よりほかに必要はないと思っています」(74頁)。「『今年は、息子の高校の入試があるので』と、なんとか神様という学問の神さまの神社におまいりに行きましたと知人は言うのです。/『ああ、呪いに行ったのですネ』と私が言う。……。そもそも、入試を祈願するのは相手を蹴落さなければならないのです。学業の力ではダメなので相手を蹴落すために神さまに祈るのです。つまりは、相手を呪いおとすのです。若い青少年たちの学問のちからというものは、そんなわずかなちからなのです。親もいっしょに行くそうです。……。つまりは、自分の子だけは風邪をひかないで、相手は風邪をひいて試験場に行けないように祈るのです」(82頁)。
「今から三千年も前、印度に釈迦が生まれた頃は、人間は空中を泳ぐように飛んでいたという。花、瓔珞珍宝が天から降ってきたりしても誰もが信じていた。それから、千五百年もたってから、日本の万葉の詩人は、そんなことは考えてもいなかった。それから、千五百年たった現代の人は、三千年前と同じで、人間が空を飛んで行ったりしても不思議に思わない。ジャンボ旅客機などというものは、男根、女陰、三百個も空中を飛んでいるではないか。……。天翔る/大陰唇よ/小陰唇よ/しかも隠すか/底板の/飛行機の底板よ/心あらなん/隠そうべしや」(131頁)。
「相手を傷つけない離婚をしたのだから、友人と同じ交際になったと、自分でもそう思い、相手もそう思っている。だが、顔を合わせればどこかに気まずい思いをしている筈だが、顔色に出さないのは、腹芸か。そんな離婚のつきあいが出来るというのは、忍耐強いというか、表情がうまいというのか。それが、もし、美徳とか、文化人だとかと思うのはこれも錯覚じゃないだろうか」(166頁)。
「……男の家は世間体も立派な家のダンナである。それが、目をむいて『バカァ、このバカオンナ』とあびせかけるところが立派だと私は思う。……。離縁も離婚もそういう傷ついた同士ではないかと私は思う」(172頁)。
「……私は蝶の舞う姿の影には、この世の地獄を想像している」(211頁)。
「『いいクルマに乗っているヨ』と言われることがいい生活をしていることになるのである。いい生活は『生きがいのある人生をすごしている』ということになり、このごろでは、『いい生活』は『人格』ではなく、幸福な人生であるかが、誰でもの望みになったようだ」(220頁)。まったく深沢七郎を読むと、重りがとれて、身体が軽くなる。深沢七郎のエッセイでベストは『人類滅亡的人生案内』だと思うので、この『ちょっと一服、冥土の道草。』(タイトル、いいなァ)は☆☆☆☆。
◆『non-no』のモデル、菅井ちゃんかわいー。
◆「『永久に』というのは、人間には禁じられている言葉よ」(ボルヘス『砂の本』) 。
◆鈴木漁生傑作集2『漁生の浪漫戦記・青春の墓場』再々再々読了。この開放感!! これは多分、漁生が好んで描く雲からきている。通販は兵庫県明石市別所町13の6 幻堂出版、送料込み2000円。☆☆☆☆☆。必読。
◆長谷川集平『青いドッグフーズ』(北宋社、1980)読了、青春の点景。☆☆☆。
◆もりしげ『子供の森・完結編』読了、なんというか胸にひっかかる。反権力というより反社会性。柳下毅一郎は解説で「人間的なるものを全て排した世界」(解説165頁)、サドの末裔と書いている。然し「人間的なるものを全て排した世界」を描けるのは、理性を突き詰めた人間のみだとすれば、もりしげの世界はまた最も人間的でもある。☆☆☆☆。
◆森下裕美『金魚のまくら』読了、絵柄はひさうちみちおと丸尾末広、物語は林静一。この時点で、「ゴマちゃん」を想像できた人がいただろうか。☆☆☆。
◆『批評空間2期11号』パラパラと読む。共同討議ポストコロニアルの思想とは何か。村井紀「カルチュラルスタディーズという議論ですが、その理論の原産地がイギリスであったり、アメリカであったり、日本であったりするように、結局は植民地をかつて持った国、ないしは現に世界を支配している国が、自己満足のために、あるいは現実から乖離した知識人が自らのアイデンティティを確保するために議論をしているような節が見られる。もちろん意味がないというわけではなく、それ自身制度的な議論だということです」(16頁)。
酒井直樹「国民あるいは民族の全体という理念がある。これを仮象だといってもそれだけではこの理念の政治的な乱用を抑止する力は少ないが、こういった理念を歴史化することはできるだろう。永続的にずっとあったわけではなく、ある歴史の中で生まれてくる。国民や民族がどのように了解され、人々を動かすものになっているを吟味し、この理念によって経験可能になったものは何であるかを歴史的に明らかにすることが出来るはずです」(30頁)。
小林敏明「他性の文体」は西田幾多郎の文体を分裂病を参照しつつ検討。「松尾(正)は西田(幾多郎)の『汝と私』の問題にも注意を払いつつ、妄想などを通して分裂病者を怯えさせる他者とは、匿名化した超越論的な『われわれ』、つまり間主観性なのだという。ブランケンブルグの言うように、彼らにおいては『われわれ』という『自明性』はたんに失われているのではなく、むしろ疎々しい他者一般ないし他性として意識されている。人は普段この自明性をいちいち意識していない。……。だがその匿名性が分裂病者にあっては破られているので、彼らはその普段は意識しなくて済む間主観性ひいては他者性を過剰に意識せざるを得なくなってしまうというのである。分裂病に対してはこれまでにもよくその『自閉』的性格が指摘されてきたのだが、松尾によれば、それはあまりにも過剰に他者の前にさらされていることから身を守るための二次的な徴候だということになる。つまり分裂病者における他者との関係は、一次的にはむしろ過剰なまでに『開かれて』いるのである」(197頁)。「主語性が解体して述語の方向に向かうことと、私という自己=主体が解体して他者が浮かび上がってくるということとは本質的にパラレルな出来事なのである。われわれは『自明性の喪失』を喪失という単なるネガティブな面においてのみ考えがちであるが、それは別の観点からすれば他者性の浮上という事態を含んでいるはずである」(198頁)。
◆バラエティ番組で唯一楽しみにしている、テレ東『クイズ爆笑難問題』、今回も期待通り。笑った。司会の女性も良い。
◆「皆が踊ったり、はねたり、歌ったり、ふんぞりかえって歩いたり、きれいにしていれば、金などはごく少しですみます。そして自分たち自身で女を楽しませ、女に楽しませてもらうのです。裸になり、きれいにしていて、皆で歌を歌い、昔の踊りをみんなで踊り、自分の椅子に彫刻をし、自分の紋章を自分で刺繍する、そういうことを学ぶべきです」(D・H・ロレンス,伊藤整・伊藤礼訳『チャタレイ夫人の恋人』)。
◆有栖川有栖『ロシア紅茶の謎』読了、ちょっと笑える。
◆柳原望『時間旋律』読了、時間ものはなぜ恋愛ものになるのか。恋愛は時間とかかわる? ☆☆☆。
◆またときわ台へ散歩。古本屋で、もみじ拓『エリックにあいさつ』、森下裕美『金魚のまくら』、長谷川集平『青いドッグフーズ』、『批評空間2期11号』、『現代思想26巻9号』、新宮一成『ラカンの精神分析』、全部で1500円くらい。
◆もみじ拓『エリックにあいさつ』読了、無理にギャグにしている中途半端さがあるが、それが奇妙な味を出している。最近は『アフタヌーン』で、タイトル忘れたが、ギャグではなくて、シリアスな力作を発表している。☆☆☆☆。
◆夕飯、かぶ煮。
◆「窓のような眸を持つ少女だったのぞけばしんと海が展けて」(河野裕子)。
◆萩尾望都『マージナル全巻』読了、怒涛の構成力。☆☆☆。
◆吉田まゆみ『アイドルを探せ全巻』読了、プレイボーイ(金持ち)と堅実誠実な二人の男に言い寄られてあっちへふらふらこっちへふらふらというのは、女性にとっては天国だろう。描かれた時代風俗を抜けば極めてオーソドックスな少女マンガ。このあたりから、少女マンガの舞台が、憧れの外国ではなく、手の届く日常になるわけか。それが進行して『オリーブ』が廃刊で『CUTIE』全盛になるわけだ。☆☆☆。
◆森田芳光監督『キッチン』二人で観始めるが、あまりにダルイくイタイので途中で止める。
◆夕飯、肉じゃが。
◆「この世はなくていいんだ。だけど、いまこの世に生きているから、この世をつぶしてしまおうとか、自分を殺してしまおう、人をみんな殺してしまおうというのではない。しかし、この世はなくてもいい。ないとすると、それは可能性の領域にもどるわけだ。で、可能性の領域にもどって全部無になるんだ」(鶴見俊輔)。
◆昨夜はダーリン、送別会でお泊り。
◆夕方、ときわ台の古本屋、永井豪とダイナミックプロ『デビルマン(1)(5)(4)』、蛭田充『デビルマン(1)』、川崎苑子『土曜日の絵本(3)(4)(5)(6)』、柳原望『時間旋律』、萩尾望都『マージナル全巻』、吉田まゆみ『アイドルを探せ全巻』、島本和彦名言集『炎の言霊』、有栖川有栖『ロシア紅茶の謎』、トニ・モリスン『ピラウド(上)』、全部で800円くらいか。
◆川瀬直美監督『萌の朱雀』観る、田村正毅のカメラに賞を与えたのだろうカンヌは。☆☆☆。
◆「私は26歳。でも、有益だったのはたったの4年。私には全く訳が分からないけれど、私は蝶々が恐い。私の父は戦争で死んだ。子どもの頃、私はアンゴラ織りのピンクのチョッキを着ていた。それは丈の短いチョッキだった。年寄りのおじさんたちが私をとても可愛がってくれた」。(ブリジット・フォンテーヌ『ラジオのように』)。
◆榛野なな恵『Papa told me(24)』読了、最新刊。榛野なな恵の闘争はまだまだ続く。社会に対抗するための少女領域。カラー口絵かわいい、おしゃべりベアベア欲しい!! ☆☆☆☆。
◆松下紺之助『黄昏幻燈館』読了、エログロ大正モダニズム系、ちょっと黒田硫黄を思わせるタッチ。あと画面構成と物語が手慣れれば。☆☆☆。
◆『store vol.1』(光琳社、1997)読了、ダニエル・オロスコの短編「オリエンテーション」がおもしろい。盛田隆二の短編はイマイチ。ツェ・ツェの食器。ケンタロウ「女のコだからって料理なんかできなくったっていい。そのかわり、うまそうに嬉しそうに幸せそうに食べるんだぜ」(67頁)。
◆小沢昭一『もうひと花』(文藝春秋、1991)読了、「はじめ冗談、中ほど義理で、今じゃ互いの実と実。ア、コリャコリャ」(63頁)。「円熟、枯淡とは正反対の、しかも出来ることなら一道貫徹しない人生を送ろうかと意欲満々なんでありますね」(162頁)。「我が家は本だらけです。……。ところが、私は、本をあまり読みません。……。従って、知識が私のなかにさほど入ってきません。だから私は、あまり物識りではないのです。……。けれども、私の周囲には、膨大な知識が積んであります。イザというときには、すぐには間にあいませんが、まもなく、本を読めば大丈夫です。私は知識を、身体の中に入れずに手の届く範囲に置いてあるのです。そして、何のことはどの本を読めばいいか、それだけはわかっていますから万全です」(165頁)。オイラも買った本の三分の一も読めていないが、何のことはどの本を読めばいいかは分かっている。同じようなことは山田風太郎も言っていた。小沢昭一と山田風太郎が言うことなら圧倒的に正しい。調べるときにどの本を読めばよいか、何がどこにあるかだけ分かっていればいい。本は読まなければ意味がないというような、よく言われる教条的な物言いは全く嘘だ。☆☆☆。
◆まぬけな顔してるけどなかなか偉い 9点。
◆TONO『ナバナバパラダイス犬童医院繁盛記(1)(2)』『ナバナバパラダイス博士の魚たち』読了、TONOとかSUEZENとか、つり目気味の女の子の絵、好み。☆☆☆。
◆藤木凛・坂本一水『SUZAKU(1)』読了、まだ序章。☆☆☆。
◆氷室芹夏『ぼくらのプラトニックラブ(1)』読了、今村仁司の言う第三項排除のエロ版。
☆☆☆。
◆萱野葵『ダンボールハウスガール』(新潮社、1999)読了、表題作はOLが訳あってホームレスになる話。「杏はそれからまた段ボールの家にこもり、じっとする生活に戻り始めた。またこの中で、以前のように昼寝でもして暮らそう。近所の図書館にでも行って暮らそう。夜になったら酒でも飲んで、そしてときには何かを蹴って」(122頁)。小説としては表題作より、「ダイナマイト・ビンボー」のほうが完成度高し。筋肉質で男言葉を話す姉と、元アル中の弟二人のビンボー暮し。生活保護をまんまとせしめるも、やがて打ち切られ、アパートも追い出される。栄養失調気味の弟を背負い、「『おまえが死んでも、姉ちゃんは偉くなるからな』/『うん……』/『まあ――これも何かのついでだからな』/『うん……』/『だから、頑張れ』/『うん……』」(229頁)。人を背負うモチーフ、この場面、映画化するなら監督は今岡信治。萱野葵、いつか何か賞をとるだろう。☆☆☆☆。
◆次いで、岩田宏『踊ろうぜ』(草思社、1984)読了、追憶の青春小説。青春は常に追憶だけれど。
「まるで煎餅や飴を子供に与えながら自分も摘み食いするように、学の母親は朝な夕な唄を口ずさみ、そのことを学はいつからかこんなふうに解釈していた。すなわち、歌える唄の数は多ければ多いほどよい。それというのも、貯えられ、殖やされ、いつも頭の中か胸の中か、どこか内部で鳴りつづけている唄というものは、もはや単なる唄ではなく、財産、豊かさ、優越なのであるから。……。唄が財産だとしても、それは現実生活の労苦や不如意に対抗して生まれた架空の財産ということではない。もっと前の、世界に貧富の差が生じるよりも前の、人間の生地にまつわる何か……」(7頁)。詩人岩田宏にとって詩とはこういうものなのだろうか。ラスト、夢で終わるのが秀逸。☆☆☆。
◆夕食、大根煮物、市販のそばつゆを入れてみたらベストの出来。