なぜ、あえて入手しやすいであろう新潮社の豪華版『懐かしい贈りもの』を推薦しないかといえば、『懐かしい贈りもの』は収録作が偏っているからで、一方この『地球の午后三時』には、さべあのまの描く物語のヴァリエーションのほとんどが詰まっている。
『地球の午后三時』には、童話風の「地球の午后三時」、女子校の風景を描く「綺羅星」、思春期特有の過剰な自意識を抱いた少女が主人公の「三時の子守歌」、大学を舞台にした恋愛群像劇「3番目の季節」、働く女性のモノローグである「ふぇいど いん ふぇいど あうと」などが収録されているが、さべあのま物語の基本形はほとんどこれらで全てである。例えば「地球の午后三時」は『ネバーランド物語』や『マービー』『ギシェット』へと結実し、働く女性というテーマは『モト子せんせいの場合』や「ミス・ブロディの青春」(『SABEAR BRAND』)へと引き継がれる。反対に「三時の子守歌」は、それ以前の『ライトブルーペイジ』に収録された「ピリオド風…」の抒情が洗練されたものである。
さて、さべあのまというと、きらきらした物語を優しい絵で描く作家というイメージがあるだろう。それは間違っていない。だが、ここで注目したいのは「I LOVE MY HOME」に描かれた悪意である。野心的な作家にとって、物語を創るということは既存のものの破壊であるから、そこに現われるのは、悪や狂気である。
「I LOVE MY HOME」のあらすじはこうだ。どこにでもある平均的な核家族。娘は幼稚園。母はパート。父は出版社勤務。子育てや家事に倦怠を感じはじめた母は「人生あやまったわよねぇ」とため息をつく。そんなとき偶然、むかし付き合っていた男と出会った母は、現在の生活を後悔したりもするが、結局平凡な幸せに落ち着く。……かと思いきや、娘は突然誘拐され、そのとき母は、昔の恋人からの電話でデートに出掛け、父は「今晩遅くなる」と家に電話をかけるが誰もでない。ラストはその家族の住むアパートをも含めた街の俯瞰のコマで終わる。
これを初めて読んだのは高校生のころだ。こんな救いようのない話をよく描くなと驚いた記憶がある。その徹底した日常生活の破壊は、『漫金超』という掲載雑誌の性格ゆえの冒険だったのかもしれないが、確実にさべあのまの隠れた一面でもある。ここを見逃してはならないだろう。悪や狂気を知っている人間にこそ優れた物語が作れるのであって、だから、さべあのまの作る物語は優しいのである。
さべあのまを語るとき、抜くことが出来ないのはその絵の魅力である。これはもう見てもらうしかないのだが、私が一番好きなのは「変光星」のラスト、太陽の光を受けて飛び跳ねる少女の絵だ。この生き生きとした絵こそ、さべあのまなのである。
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