架月弥『狼になりたい』

ソニーマガジンズ,1998
きみとぼくCOLLECTION B6判
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表紙画像

 なぜ少女マンガを読むのか。その理由のひとに、少女マンガに於いては、不安定な主人公が描かれることが多いということがある。
 たとえばこの本のなかのモノローグ。

答えなんか/出ない
何が正しくて/何が間違いか
繰り返すだけ/なのかもしれない(P.199)

 このような葛藤、不安定さ、決して着地しない居心地の悪さ。しかし、そこからしか何かは生まれない。思えば、「おたく」はそのようなネガティブさを引き受ける存在だったはずだ。しかし、岡田斗司夫によって、「おたく」はよりポジティブな「オタク」になった。それはあまり良いことではなかったと思う。
 少女マンガは内面の不安定さを描く「文法」をもっている。対して、そのような「文法」の発達していない少年マンガでは、フラジャイルさが描かれることはあまりない。描くための「文法」がないからだ。「文法」があるからこそ描ける、ということは、「文法」に先立って内面があるのではいということだ。マンガは可視的に線として描かれねばならない。だから、まず技術的な「文法」が先行し、それに合致して内面が生みだされる。そうだとすれば、パソコンから絵を描き始め、ペンとインクで描いたことのないマンガ家が出現している昨今、今までと全く異なった感性の内面が生まれるのではないか。
 架月弥には『チョコの歌』(ソニーマガジンズ,1998)という中編もある。こちらも良い。とくに、昔の冬野さほを思わすような第1話は、子供を描いて絶品である。
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架月弥
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