タイム涼介『日直番長(1)』

講談社,1997
ISBN4-06-337339-8 A5判
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表紙画像

 日直番長!! ああ、なんて魅惑の響き。
 僕らはみんな日直番長だったんだ。ペニスの皮を日に焼いて剥こうとしたり、「夜中にこっそりエロビデオ」用イヤホンを隠しもったり、そんなバカなことをしていたものさ。彫刻刀で机をきざむ机彫刻家だってクラスに一人はいたさ。
 タイム涼介『日直番長』が、いま静かなブームだ(うそ)。うっかりすると、たんなる平凡な不条理マンガと誤解されるかもしれないけれど、『日直番長』は僕らの世代の不条理マンガの代表として歴史に残るべき傑作である(ってほんとかオイ)。
 かつて吾妻ひでおに代表された不条理マンガはマイナーなものだったが、吉田戦車やとりみきの手によって、不条理マンガは広く一般に認知されたといえる。それは不条理マンガの乱立を招いて、そのほとんどは粗雑なクズだったけれども、しかし時を経て現在、しりあがり寿は精神内奥へと内省していき、榎本俊二は下品を極め、古屋兎丸は一縷の隙もないメタ不条理世界を完成させ、町野変丸はやけっぱちエロへと、それぞれの資質を開花させた。なかでも朝倉世界一は、不条理に文学的メタファーを接合した傑作を描いたが、『日直番長』は朝倉世界一の世界に近いのかもしれない。
 『日直番長』においてタイム涼介は流麗なモノローグを用い、それは一種の文学的雰囲気を醸し出している。だが、それは戯れているだけで、決して本気で文学しようなどと思ってはいないだろう。おそらく彼は、文学なんて恥ずかしいものだと自覚している。そう、僕らはそういう世代だ。声高に文学を語ったり志したりすることなど、もうできない。文学など信じちゃいない。例えば、辻仁成みたく能天気に文学をやったり、受賞の言葉で「これからはパンクでいきたい」なんて口にすることの恥ずかしさを知っている。だからタイム涼介のマンガは屈折していて、過剰な言葉の割には徹頭徹尾重要なテーマや意味など見いだせないけれども、そのことにこそ意味があるのだ。ともかく僕らは『日直番長』を読んで、笑いながら生き続けることはできる。それでいい。そこからはじめよう。
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