1999年1−2月


1/28 (木)

『プレイコミック』『週刊漫画times』『漫画アクション』『ジャンプ』『マガジン』『ヤンジャン』『ヤンマガ』読む。『プレイコミック』の、乾はるか「売る女」が馬鹿馬鹿しくて良い。絶頂に達するとアイデアが出るという、独自のオナニー発想法で、次々とヒット商品を生み出すサドの女性が主人公。

小野塚カホリ『深夜少年』(マガジンマガジン,1998)、古き良き伝統のジュネもの。どの短編でもキャラクター造形が一緒なのが欠点だろうか。

『パイク』vol.16(フュージョン・プロダクト,1999)。今売りの最新号よりひとつ前の号。『パイク』は毎回レベルが高くて楽しめるが、中でも、あめかすり「紅いうさぎ」は、そこだけ世界が別次元になったよう。白と黒だけで鮮やかな世界を構築している。ちなみに最新号の『パイク』は、伊集院808が初登場している。扉の絵が上手くて、「おお、とうとう伊集院808も進歩したか」と思ったら、扉以外は相変わらず下手で笑った。素晴らしい。

坂口尚『あっかんべェ一休(1)』(講談社,1993)、例えばP.31の竹林の絵を見てみれば、坂口尚の死が、日本マンガ界にとっていかに大きな損失だか分かるだろう。坂口尚全集をどこか出さないか。せめてアクションコミックスの大判で出ていた三冊組の作品集を再版しないか双葉社は。

おかざき真理『シャッターラブ』(集英社,1998)は、オトコになんぞに依存しなくとも生きてけるぜ、みたいなラストで、マーガレットコミックスにしては珍しいんじゃなかろうか。少女マンガは、男女関係の描写において、新しい段階に移行しつつあるのかもしれない。おかざき真理ファンとしては、たしか『ぶ〜け』に掲載された短編とかも単行本化してほしい。

ひじりれい『ひじり三昧』(富士見出版,1998)は、絵柄の変遷が明瞭に分かっておもしろい。だからこそ、初出誌の明記が欲しかった。最近のひじりれいのマンガは、個人的にズリネタ度高し。

沖さやか『ななコング(1)』(小学館,1995)は雑誌連載が中途半端に終わってしまった印象がある。人気がなかったのだろうか。確かに、これはギャグマンガの体裁をとってはいるが、読んでいてかなり辛い。ギャグでコーディングしてるからよけい痛ましくなる。沖さやかは本当に読み手に突きささるマンガを描く。著者紹介のケツの写真に欲情。

きくち正太『きりきり亭のぶら雲先生(1)』(スコラ,1998)は絵の魅力。時代設定は現代なのに、どう見ても大正ロマンにしか見えないのがおもしろし。

福山庸治『私鉄前線』(双葉社,1981)、電車に家族が住むという設定だけはおもしろい。80年を境に、山上たつひこ風から抜け出して、独自の路線を進み始めたことが分かる。

花輪和一『月ノ光』(青林堂,1996)、今更ながら、その世界に圧倒される。

くらもちふさこ『おしゃべり階段』(集英社,1990)くらもちふさこいくつか読んできてるが、今までどうもピンとこなかった。けど、この『おしゃべり階段』はめちゃくちゃおもしろかった。のめり込んで読んだ。

ちばぢろう『J work's』(H.I.T工房,1998)は渋谷のえるぱれで購入。年上の女性の慰みものになっている少年と、父親に虐待されている少女との交わりが描かれる「Lie down with Dog」には泣いた。やはり、千葉治郎は凄い。ところで、なんでひらがなに改名したんだろうか。

TAION『ROLLER DASH!!』(1998)、これもえるぱれで。マンガ好きならばDIGの名を知らなくてはなるまい。

市場大介『美杖エズミ』(1997)、これは模索社で800円。市場大介は確か、山田花子が根本敬にすすめられて読んで絶賛していたはず。そういう情報はどうでもいいことだけれど。


2/1 (月) 心臓がいたい

雑誌目次をアップ。


1/31 (日) 屁で挨拶する人が、田舎などにはいるね。

◆バイト。帰りにコンビニで『スーパー写真塾』やら『投稿写真』やらを立ち読み、相変わらず雑多な情報の多さに感心する。拠点としていた店が潰れて、東京のコロンビア人コミュニティが壊滅寸前だとかいう情報を、エロ本から得られるってのも凄いな。

中原昌也『ソドムの映画市〜あるいは、グレートハンティング的(反)批評闘争』(洋泉社,1996)読了。めちゃくちゃおもしろい。

◆ビデオで『ラブ&ポップ』(監:庵野秀明)観る。こりゃ、ギャグなのかね。こんな説教を誰が聞くのかね。

新田たつお『満点ジャック(1)(3)』(実業之日本社,1985)。それにしても新田たつおは何でこうもおもしろいのか。新田たつおと似たタイプに山上たつひこがいる。この二人はもう飛び抜けている。ギャグの構造が他のマンガと根本的に異なっている。

『犬走る』(監:崔洋一)はプロの仕事。岸谷五郎の動きが素晴らしい。


1/30 (土) あんた、高田純次と同じくらい心がないよ

◆夕方まで寝る。

樹村みのり『カッコーの娘たち』(講談社,1979)

◆渋谷でKと別れる。

◆近所の、大学入学以来ほとんど品揃えが変わらない、しかし、深夜まで営業している、やる気があるんだかないんだかよく分からん古本屋に久々に立ち寄ったら、ふくやまけいこ『ライム』(徳間書店,1986)が300円で売ってたので買う。これってプレミアもんじゃないのかしら。ふくやまけいこの単行本は見かけたら買っているので、だいたいの作品は読んでいるはずだ。彼女の絵は、純粋アニメ絵ではないかと思っている。オーソドックスな最低限のアニメ絵というか。だからふくやまけいこの絵を始めて見たときの感想は「なんて特徴のない……」だった。ちなみに、個人的に一番好きなのは「何がジョーンに起こったか」だ。ぱるぷ出版の同タイトルの単行本に収められている。もう入手難だろうが、たぶん大都社から再版されている本で読めるはず。


1/29 (金) それはそれでいや〜

◆物流論のテスト。今年のテストは毎回遅刻している。これでテストから開放かと思いきや、2問のうち1問しかできなかった。再試験でぎりぎり卒業ということになりそうだわい。

◆部室に置いておいた『アストロ球団』を持ち帰る。置いといても誰も読まないんだもん。『アストロ球団』ほどマンガにおける「リアルさ」を表現したマンガがあるだろうか。

◆Yとゲーセンで競馬ゲーム。二回やって二回とも負ける。あれは負けるとかなり悔しい。二人で渋谷へ出てふらふらして、Yはデエトがあるそうで別れる。

◆タワーレコードにて、殺害塩化ビニールフェアという無謀な試みをしていたので、その心意気に打たれて、『殺害菌マグニチュード666 夏休み特大号』を買う。おまけで『伝説の殺害カルトテープ デッドサンプラー1991~1992』というCDをもらう。渋さ知らずの新作や、小杉武久のヴィデオや、『電子音楽 in Japan』とか、TZADIKのバカラック・オマージュものや、マッコイ・タイナーのバカラック・カヴァーものや、スタン・ゲッツバカラックものも欲しかったのだが、結局買ったのは、紙ジャケット限定1000枚で復刻されていた、アルバート・アイラー『Spirits Rejoice』と(「限定」って言葉に弱いのよねー)、デジタルナルシスから復刻された、Pita『SEVEN TONS FOR FREE』を購入。

◆この大阪にあるデジタルナルシスというレーベルは、音響系の音盤を意欲的に出している。とてもセンスのよいジャケットで、しかも殆どが名盤である。池田亮司が好きだというような人には、要チェックのレーベルでしょうな。B'zのおかげでピーズの棚が半分になっていたので気落ちしてしまう。

◆まんだらけで、島竜二・菅沼要『セクシー怪獣大暴れ』、柳沢きみお『新・翔んだカップル(1)』、新田たつお『満点ジャック(1)(3)』を。ほかにも欲しいのがあったが、金が尽きた。

◆パルコ・スペース3で『出発』(監:イェジー・スコリモフスキ)。先着10名にビールプレゼントというので、一時間前に行ったが、すでに遅し。CUTIE系の女の子が友達同士でわらわら来ていた。映画はなぁ、一人でなぁ、孤独になぁ、鬱々と観るもんなんだよっ、とどつきたくなるも、堪える。それにしても、どうしてあんなに予告が長いかね。あれはやめて欲しいものです。予告で流れた『Six String Samurai』はおもしろそうだった。ギターを持った渡り鳥が主人公の、カンフーチャンバラウェスタン。『出発』は、まだ若いジャン・ピエール・レオーのやんちゃぶりが楽しかった。ラリーに出るためのポルシェを手に入れようと、展示場で盗もうとしたり、金持ちのおばさんをたらしこんだりする。彼は美容師で、かつらの届け先の女性=カトリーヌ・イザベル・デュポールを口説く。自動車も手に入ったラリー前日に、二人はホテルに泊まる。女のほうは「はやくベッドに」と誘っているのに、男のほうは躊躇する。結局、二人は結ばれず、朝、目を覚ました女は、窓からレースを眺める男に「寝坊したの」と聞いて、「いや」と答える男=ジャン・ピエール・レオーのアップになって、画面がフィルムになって焼けこげて終わる。ラストで突然メタメタするのが前衛っぽいといえばぽいのだが、しかし、この映画の魅力は、車が音楽をバックに疾走するシーンだ。気持ちよかった。音楽がまたいいんだ。なんというか、昔の若松孝二の映画に流れていたようなジャズなんだ。

◆白楽駅でちょうどKと逢う。会社の飲み会の二次会のカラオケで、取引先の社長とデュエットさせられ、抱きつかれたと憤り。こんなことのないようにフェミニズムはがんばってきたとは思うのだが、現状は、こういう有り様。どうも日本のフェミニズムは学者の、とくに最近は、男の理論系の研究者の慰み物にしかなっていないような気がする。

◆二人で六角橋商店街の「どん亭」へ行き、どん亭スペシャル(カツカレーと牛丼が合体したもの)を食う。食うと気持ち悪くなると分かっていながら食べてしまう。

アイラーの『Spirits Rejoice』を聞いて思い出したのは、アイヴスの「ニューイングランドの3つの場所」。


1/28 (木) 「未来の正しいあり方」なんてのはどこにもない

◆バイト。帰りに、横浜東急ハンズ近くの古本屋「ぽんぽん船」で、赤江爆『ポセイドン変幻』、中村真一郎『仮面と欲望』、井上ひさし・山元護久『ひょっこりひょうたん島(2)〜(8)』、サルトル『文学に何ができるか』、イタロ・カルヴィーノ『レ・コスミコミケ』『柔らかい月』、F・K・ディック『火星のタイムスリップ』『偶然世界』『パーマー・エルドリッチの三つの聖痕』、デュルケーム『自殺論』、K・ヴォネガット・ジュニア『母なる夜』、外薗昌也『聖なる侵入(1)(2)』、沖さやか『ななコング(1)』、柳沢きみお『ソーイング(9)』。すべて百円だから全部で二千円なり。いくら一冊百円だからって、二十冊も買うもんじゃない。重すぎる。赤江爆の初版単行本が百円というのが嬉しい。

ディックヴォネガットは高校時代に読んでるが、店の棚に並んでいるのを眺めていたら、再読したくなってきて、買った。帰って、さっそくヴォネガット『母なる夜』(早川書房,1987)を読む。この本は早川書房と白泉社と2つの版がある。(ちなみに、この手で有名なのは、ヴィアンの『日々の泡』と『うたかたの日々』で、こちらは題名まで違う。ちなみに映画の邦題はたしか後者だった。)今回は早川版の『母なる夜』を読んだわけだけれど、昔読んだ白泉社版、池沢夏樹の翻訳のほうがすっきりしていて、ヴォネガットの笑える部分もうまく訳せていたように思う。淡々と世界を肯定していく、流れに逆らわないというような感じは村上春樹が影響を受けた部分だろうけど、ヴォネガットは村上春樹ほど甘くはない。

柳沢きみお『ソーイング(1)-(9)』(秋田書店,1985)読む。デザイナーを目指す若者の青春群像。柳沢きみおは『翔んだカップル』でラブコメを確立したというのが通説だが、しかし、彼の作品は、ラブコメというより青春群像ものと言ったほうがいい。フェリーニに『青春群像』という映画があったが、まさにあんな感じだ。ラブコメというと、例えば、いまマガジンで連載中の、赤松健「ラブひな」がまさに典型的なラブコメだろう。そこには柳沢的な、葛藤の相互反復はない。いま『アクション』に連載中の柳沢きみお「妖しい花」もコメディのようでいて、なんだか悲しい。

小林秀雄「モーツァルト」。いろいろ言ってるけれども、結局ほとんど何も言ってないところが凄い。ただ「言葉」が、残るだけだ。しかし、それだけが残るというのはかなり凄いことだよ。少なくとも小林秀雄は、何も言えやしない、これを書くことに意味がないんだということを分かって書いている。凡百の音楽書哲学書は、言いたいことだけはあるけれども、そのような「言葉」がない。


1/27 (水) 早めし早ぐそ男の一芸

◆バイト。何を勘違いしたのか、てっきり昨夜『シベ超』があると思って録画予約したのだが、今日みてみたら、『エド・ウッド』が録れていた。まぁ、どちらでもいいといえばいいのだが。いや、よくないか。

◆ 駅で拾った『ヤンジャン』『スーパージャンプ』『スペリオール』『週刊ポスト』読む。山崎浩一が、テレビのヴァラエティ番組について、「ヘドが出るほど醜怪で犯罪的」「女も男もバカがメディアにのさばるようになった」と、いつになく憤っている。確かに最近のテレビ、とくに民放のバラエティはつまらない。ドキュメンタリー番組は頑張っていると思うが。だいたい、これだけテレビがつまらないのに、それでもテレビ局に就職しようとするような人たちが制作してるんだから、おもしろいはずないのよ。

『プリマヴェル』COLOR『ぺたぺたぱんつ』(一水社,1997)岡田あーみん『こいつら100%伝説(3)』(集英社,1992)望月花梨『Wの庭園』(白泉社,1996)望月花梨『純粋培養閲覧図』(白泉社,1997)あすなひろし『青い空を、白い雲がかけてった(3)』(秋田書店,1981)深沢七郎『深沢七郎の滅亡対談』(ちくま文庫,1993)『GET UP』vol.2(黒田出版興文社,1998)水上硯『マイペースな人々』(角川書店,1990)


1/26 (火) 「人生というものはダラダラと始まり、そしてズルズルと終わる」殿山泰司

◆朝五時に起きてバイト行って日銭を稼いで、9時ごろ帰宅。

殿山泰司『三文役者あなあきい伝PART2』(ちくま文庫,1995)を半分読む。以下、印象的なエピソード。
酒浸りで納税できずに家が差し押さえられる。奥さんと娘さんは、トノさんに知らせずに、引っ越してしまう。で、トノさん慌てて新しい家に尋ねていくと、留守番の人が「奥さんは飲み屋で働いています。お嬢さんも一緒です」。トノさん、小走りにその店へかけていく。「7、8人も入ったら満員となるような小さな飲み屋であった。お客は誰もおらず、女は、おでんの鍋に仕込みをしており、おれの顔を見て、イラッシャイマセ!! と言った。中学生の娘はカウンターの端で、教科書と首っ引きになっており、おれの顔を見て、ただニヤリと笑った」。
この本に現れる女性たちは、さっぱりとしていて、あっけらかんで、そこが魅力だ。殿山泰司の飄々としたイキザマも見事だが、なによりもその書き方。このような文章は殿山泰司以前にも以後にもない。

柄谷行人『差異としての場所』読みつつ眠る。夕方6時に起きて、東神奈川駅近くのリサイクルブック・ミッキーで、福山庸治傑作集1『誘拐ローン』同2『私鉄前線』、小野塚カホリ『深夜少年』、樹村みのり『カッコーの娘たち』、望月花梨『wの庭園』『純粋培養閲覧図』、川崎苑子『麦子さんの時間割(1)』、岡田あーみん『こいつら100%伝説(3)』、『GET UP』vol.2、松浦理恵子『ナチュラル・ウーマン』、小林秀雄『モーツァルト・無常という事』。

◆レンタルビデオ店で、AVと『身も心も』借りる。木尾士目『五年生(1)』(講談社,1999)にもあったが、AVを借りようと意気込んで店に行っても、いつも棚の前であれこれ逡巡してしまって、結局選ぶのが面倒くさくなって借りずに帰ってくるというのが多い。しかし、今日は勇気を出して決断。しかし、帰って観てみたら、つまらなかったとさ。こんなもんよね。

安達哲『ホワイトアルバム』(講談社,1988)読了。安達哲の作品ははじめから、帰らぬ時への郷愁というテーマで一貫している。

『シベ超』録画予約して寝る。



12/1998||1,5/2000


ISHIHARA, Shingo
shingoo@lily.sannet.ne.jp