◆いままで隠していたが、私はおっぱい星人の中でも最高位のおっぱい聖人である。乳(ぱい)合成により、乳(ぱい)素を吸収して私は生きている。みんなありがとう。わはははははは。湾岸スキーヤー
◆以下、日記中断中印象に残ったのをいくつか。
◆華倫変『カリンクラブ』講談社,1998。 例えば榎本ナリコは山本直樹のただのエピゴーネンになってしまったが、華倫変はポスト山本直樹的存在になるだろう。 ★★★★★
◆南Q太『愚図な女ばかりじゃないぜ』。 山本夜羽は南Q太について「男性憎悪が激しい」と発言していた。そう言われるとそうかもしれないが、そうとも言い切れない部分もある。しかし大多数の男は、南Q太の作品に後味の悪さを感じることは確かだろう。でも、そこがいいんだ。町田ひらくにも通ずる。しかし最近の南Q太はワンパターンで飽きる。 なして『コミックキュー』は、SABEと南Q太の夫婦合作を実現させなかったのかね。うまくいってないの? SABEちんとQ太の夫婦。★★★★
◆『CUTIE COMIC vol.1』。 つまらん。けっこう早く廃刊になりそう。岡崎京子が抜けた穴はやはり大きい。ページの横に「わたしの初体験」なんて載ってるのが、だささを醸し出している。下世話を狙いすぎていて、読者のレベルをみくびっている。いや、大多数の読者のレベルなんてそんなもんか。しかし自分をレベルの高い読者として上に置きたくはない。私は「マンガ読者」ではなく「マンガ読み」だ。いや、なんだか自分でも何言ってんだかわからんけど。受動と能動か。 ★★★
◆ZERRY藤尾『SMILE』富士美出版,1997。 なんとなく再読した。やはり傑作。なぜこんな素晴らしいエロマンガを描くZERRY藤尾や、例えば町田ひらくがあまり評価されないのか。日本人はマンガを読む量がもっとも多いのに、なぜつまらないマンガばっか読んでんだ? 審美眼が養われるってことはないのか? アプリオリに決め付けてしまうのではなく、いったん相対化してから、屑は屑とせよ。ろくに読みもせず、エロマンガ=屑マンガと思っている人たちが多すぎる。ピンク映画=屑映画だと思ってる人も。そのへんの構造は卒論でやろうと思っている。★★★★★
◆早見純『美しき屈折』久保書店,1985。 変態エロマンガだが、ギャグとしておもしろい。★★★☆
◆デュオ別冊『大島弓子の世界』朝日ソノラマ,1983。とくに目新しいことはなかった。★★★
◆冬目景『僕らの変拍子』スコラ,1995。 現在の冬目景については全く知らないが、この本の収録作には彼(女?)独自の雰囲気がある。初期の細野不二彦を思わせる。★★★☆
◆窪之内英策『ツルモク独身寮 全11巻』小学館,1988〜1992。 これに感動するというのは自分でも嫌なのだが、どうも青春群像ものには弱い。しかしこのような、作者が紋切型を紋切型と自覚していないような予定調和の世界は唾棄するべきものだろう。 ラストの決着のつけかたが逃げている。これは安達哲にも通じる逃げだ。★★★☆
◆山本夜羽『キックアウト・ラヴァーズ〜夜羽福音書』講談社,1996。★★★
◆西炯子『わたしのことどう思ってる?』新書館,1997。 西炯子もだんだんつまらくなるなぁ。なんか今の『ぶ〜け』を思わすつまらなさだ。★★★
◆中野区くろちゃん『16才の爆弾』一水社,1997。★★★
◆原作/阿月田伸也、劇画/池上遼一『ひとりぼっちのリン 全3巻』講談社,1987。 「ヘトヘト法トレーニング」はないだろ、「ヘトヘト法トレーニング」は。真面目な顔して「やはりリン君にヘトヘト法トレーニングを教えこんでいたな」って言われてもなぁ。こういうズレた感覚の表現を無意識にやってるのがおもしろい。これを「『アストロ球団』的感覚」と呼ぼう。★★★☆
◆木尾士目『陽炎日記』講談社,1998。 男は理屈をつけたがる。例えば南Q太のファンがこれを読んだら「うざったくてヤダ」だろうが、オイラは木尾士目も南Q太も好きだ。(でも、読みようによっては南Q太もそうとう理屈っぽい)。『アフタヌーン』連載中の「四年生」もリアルでおもしろい。★★★★★
◆片岡聡『石喰う男』マガジンハウス,1997。 おもしろいなー。★★★★
◆玉置勉強『ちょこみんと』一水社,1998。 玉置勉強の抒情はこんなものではないと思うのだが。★★★
◆つのだじろう『恐怖新聞(5)』秋田書店,1984。 最終巻。結局主人公は恐怖新聞配達人になってしまうのだった。
つのだじろうといえば、小学生のとき母親と一緒に美容院へいったとき何かの雑誌で読んだ話が妙にこびりついている。別荘で女の子が「遊びで遺書を書いてみよう」とかなんとかオヤジに言われて、もちろん書いた女の子は殺されるわけ。睡眠薬か何かを飲まされて首吊りにされるんだけど、それで「首吊りすると体中の穴から体液がふきだします」というような説明があって、それがすごい印象に残ってるんだよなぁ。「ということはあそこからもいやらしい液が出るのだろうか」と小学生のころから考えるオイラって.....。そうさ、すけべさ。どうせね。★★★
◆松本大洋『青い春』小学館,1993。★★★★
◆『イメージ・フォーラム』ダゲレオ出版。 何冊か一冊百円で売ってたので買う。お目当ては、評論ではもちろんなく、殿山泰司が連載していた日記とズラウスキーのインタビュー。映画ってのは基本的にばかが撮るものであって、例えば一時流行った記号学的とか蓮實重彦の評論なんかを読んでる輩がすごい映画を撮れるかというとそうではない。ズラウスキーはインタビューでは偉そうなこと言ってるけど、映画撮ってるときはばかだと思う。だってどうみてもばか映画だもん。『ポゼッション』好きよ。それにしても映画評論家と呼ばれる人の書く文書ってほとんどつまらんな。もちろん例外はあるが。そもそも映画評論家というものを職業にしている神経が理解できん。ふるぼけて汚れた『イメージフォーラム』なんて読んでると、ほんとにそう思う。★★★
◆笙野頼子『居場所もなかった』講談社,1993。 現在の作品を読んでいる者としては、この頃の作品は物足りない。漫画でいえば山田花子レヴェルといえよう。山田花子も笙野頼子のように発展していけば死なないで済んだのにな。★★★★
◆永野のり子『電波オデッセイ』アスキー,1997。 わかってんだけど、やっぱ、泣く。★★★★★
◆谷岡ヤスジ『アギャキャーマン 山の巻』立風書房,1982。 谷岡ヤスジの中では、あまり良くない。★★★
◆かがみあきら『サマースキャンダル』徳間書店,1985。 影響力があったのは分かるが、普通のラブコメ。それなりに。★★★
◆ペンネームは無い『少女調教録』東京三世社,1996。 汁ぐちょ奇形ものは個人的に欲情できないのだが、作者の乳首へのこだわりには共感する。作者の性的嗜好を窺えることのできるエロマンガは読んでいて楽しい。正統派「『エロ』マンガ」と言えよう。話をもう少し凝らせば、さらに良くなる。★★★
◆『COMIC零式 vol.2』リイド社,1997。 風景の存在感という点で、すえひろがりの作品が良い。すえひろがりは、エロとプラスアルファの組合せ方がうまい。安心して読める。
拔山蓋世「花はしろたえ」は少女マンガを思わせる。舞い散る葉が美しい。作者は萩尾望都などを読んでいるだろう。しかしエロマンガの世界でやっていくには中途半端だし、メジャーの一般マンガでやっていくにも中途半端だ。『アフタヌーン』あたりが似合う世界だと言える。作者の言葉で「最近がっかりすることが多いけど、アールゾイ来日(去年11月)を今の今まで知らなかったというのには(泣)」とあって、これはオイラもアールゾイ来日(しかも近所、しかも野外コンサートで横浜市が呼んだので入場料ただ)を知ったときには、すでに終わってしまっていて悲しい思いをしたのだった。
電波P子のマンガは、これをエロマンガとして載せるのは甘すぎる(一般マンガとしても、誰かの亜流を抜け出せていないで甘すぎる)という種類のものだが、こういう無理矢理エロを絡ませた作品をも取り込むことができるのが、エロマンガというカテゴリーの懐の広さであって、それは良いことだ。みほとこうじの絵は独特で味がある。好き。★★★
◆ナンシー関×大月隆寛『地獄で仏』文芸春秋,1996。 それにしても裕木奈江はなにゆえ過剰に女性の敵とされたのだろうか。ドラマなどの作品内容および容姿と個人の人格とは区別しようというのが近代ではなかったのか。例えば榎本加奈子が音撫可憐を演じているからといって、榎本加奈子自体が音撫可憐的な人間だと判断する人がいるだろうか。 趣味が悪いといわれようとオイラは裕木奈江が嫌いではない。いやよしはっきり言おう。おいらは裕木奈江が好きだぁぁぁあ。★★★☆
◆蓮實重彦『魂の唯物論的な擁護のために』日本文芸社,1994。 ところどころ示唆された。★★★☆
◆真崎守選集16,17『花と修羅 全2巻』ブロンズ社,1977。同選集19『残照』ブロンズ社,1979。同『錆びついた命』三崎書房,1971。 同『死春記』朝日ソノラマ,1972。同『ジロがゆく(1)(2)』三崎書房,1971。 真崎守や宮谷一彦のマンガを、『マンガ地獄変』や漫大(アクセス不能。いずこへ?)以外の仕方で評価することはできないだろうか。もちろん懐古趣味でもなく。それこそが漫画批評の模索するべき道だと思う。★★★☆
◆テレ朝『ニュースステーション』を聴いていたら、殺人を犯した犯人が時効後告白とかいうのを流していた。時効後に告白ってのも情けないが、その殺人の動機がもっと情けない。レンタル車でドライブしていて女ひっかけて金が無くなって、それでなんとなく集金している銀行員を殺したというバカらしい内容なのだった。あほか。そんなくだらん殺人でいちいち時効後にテレビに出て懺悔さらすな。いいって、そんなの告白しなくても。
◆今日のお勧めページ。あびゅうきょ『阿佐ヶ谷誘覧』
◆南Q太『日曜日なんか大嫌い』集英社,1996。 ビデオ棚の描写で『ざくろの色』とか『つながれたヒバリ』とか『ロッキーホラーショー』『ワイルド(アット・ハートかバンチか不明)』『アパートの鍵貸します』とかあるのが渋い。趣味が良いですな。才能ある人ってのは良いものを嗅ぎ付ける鼻というか勘がある。っていうか、そういう勘を無理遣りに身に付けさせるのが大学の役目だと思っとるのよ最近おいらは。おいらが思っててもしょうがないんだけどさ。★★★★★
◆西炯子『僕は鳥になりたい』小学館,1990。 再再読くらいか。表題作のリリカルさ、表現の巧さといったら!! 泣けるわっ。たぶん元ネタは漱石の『こころ』だろうが、うまく消化されている。★★★★★
◆西炯子『もうひとつの海』小学館,1992。★★★★
◆Rickie Lee Jones『POP POP』を聴きつつ眠る。
2/1998||5/1998
ISHIHARA, Shingo
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