高橋亮子『坂道のぼれ』

小学館,1977−78
フラワーコミックス 新書判

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表紙画像

 高橋亮子は、萩尾望都や大島弓子など、いわゆる「24年組」とよばれる作家たちと同時期に活躍していた。しかし24年組に比べると物語も語り口も地味である。
『坂道のぼれ!』を乱暴にまとめてしまえば、不良とされている少年に恋してしまう少女の話だ。少女は少年のやさしさや純粋さを見出していく。そうして二人は互いに成長していく。これは少女マンガの雛型のような物語である。
「24年組」が、ホモセクシャル的要素などを取り入れ、既存の性的表現を革新したのに対し、高橋亮子は従来の「少女マンガ」の表現から逸脱しない。彼女はあえて、従来のマンガ文法の中で、いかに人間を表現するかに賭けていたのではないか?
 その証拠に物語の枠組みは定番だけれど、決して安易なハッピーエンドでは終わらない。恋愛関係にある二人が様々な困難を乗り越え、ラストで結ばれて、めでたしめでたしという内容ではない。様々な困難を乗り越えたがゆえに二人は結ばれない。あえて二人は離れる。『坂道のぼれ!』のラスト、少年は少女に「前を向いてひとりで歩け」と言い、遠くへ旅立つ。
「二人で考えたら何でも分かると思う?」と問う少年に、少女は「でもひとりで考えたいんでしょう?」と答える。あるいは「何が正しいか何が間違っているか/まず/ひとりとひとりでなくてはなにも分からない/始まらない」(『迷子の領分』)。「ひとり」であるということなしには、人を愛する幸福を得ることはできないという認識。それゆえ彼女は、多くの作品において、執拗に、恋愛関係の成就した二人を離れさせる。それは「少女マンガ」の読者にとって、後味の良いものではないだろう。読者はカタルシスではなく、後味の悪さを感じるだろう。しかし高橋作品のほとんどは、「ひとり」で終わるのだ。
 つまるところ高橋亮子はこう言いたかったのだろうと思う。「死ぬ時は誰でもひとりぼっちだよ」と。彼女のマンガにはそんな厳しさがある。
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