石原進吾(経済学部経済学科3年)
 

1.はじめに

 近代におけるイデオロギーは、人々が気付かない仕方で「闇」の隠蔽を実行してきた。ここで「闇」とは比喩であり、また文字どおりの意味でもある。
 比喩としての「闇」は、時代や社会状況により変化し、例えば被差別部落、山窩集団、都市下層、暴走族、アイヌ及び沖縄人、様々なエスニシティなどである。支配層はまずそれらの集団を把握しやすいよう調査/可視化し、イデオロギーによって市民社会から構造的に隔離し、ときには利用してきた。
 文字通りの「闇」である夜の漆黒は、色とりどりのネオンや街灯の光によって駆逐された。夜間照明が、特に都市空間を中心に発達しているのは、都市の「闇」で行なわれる逸脱活動が、イデオロギーにとって危険なものであるからだろう。
 これからとり上げる「走り屋」と呼ばれる集団は、社会的には、暴走族と同じような逸脱者集団と見做されている。またその活動は主に夜の「闇」である。
 二つの「闇」の交差する「走り屋」という地点をみていくことで、現代において蔓延しているいくつかのイデオロギーに直面することになるだろう。
 S・ジジェクはJ・ラカンが夢を扱う仕方でイデオロギーをとらえた。夢が現実を支えているのと同じように、イデオロギーが現実を支えているのならば、イデオロギーの外へ出るのではなくイデオロギーのなかでイデオロギーを成立させているものと直面しなければならない。
 また、「走り屋」は、社会の外にあるのではなく社会の一部として存在している。「走り屋」行為は普通の昼の生活と並んである。そのため「走り屋」の活動の仕方(例えばコミュニケーションの仕方など)は、現代社会における人々のそれを反映している。そのため「走り屋」を見ていくことは、社会全体を見ていくことになるだろう。
 インタビューの対象とした三人のインフォーマントは、かつては頻繁に、週1、2回程度の割合で山(主に赤城山)へ通っていたが、最近ではやや熱も冷めたという段階である。なお三人とも男性、高卒で就職しており、走り屋活動を始めたのは就職後である。チームには入っていない。


2.「走り屋」概要、および基本単語

 「走り屋」という言葉の登場時期を明確に確定することはできないが、自らを「走り屋」と称する人々の活動が活性化したのは1990年ごろからだと推測できる。それ以前、昭和30年代からすでに「カミナリ族」「サーキット族」と呼ばれる集団が非合法による公道レースを試みていた。その行為は、現在の走り屋とほぼ同一である。やがて昭和40年代に出現した「暴走族」は、「サーキット族」が組織化された集団だった。その社会への反抗ともとれる主体的な暴走行為に対し、民間の団体や警察などが過敏に反応し、追放運動や取締などの結果、暴走族の勢いはおさまることとなった。そうして、登場したのが走り屋であるが、しかし走り屋は穏便になった暴走族ではない。後に記述するが、走り屋と暴走族は断絶している。簡潔に述べれば、走り屋は、ゆるやかな関係性により組織化されたサーキット族である。
 走り屋の活動は、その目的追求によりいくつかの分類がなされる。以下はインフォーマントによる分類を整理したものである。
 まず峠を走行舞台―――走り屋用語では「ステージ」―――とする走り方は以下の2つに分類される。
 「ドリフト」。ドリフトは、カーブを曲がるときにサイドブレーキを使用し後輪を滑らす走行の仕方である。ドリフト走行を目的として走り屋集団に加わる人も多く、例えば雑誌においても「ドリフトしたい」という文字が目立つ。初心者向けのドリフト講座や、良いドリフト、美しいドリフトの仕方を教唆する記事も多い。ドリフトによって得られる快感を求めて走る走り屋は多い。そのような人々は「ドリフト派」または「ドリフト族」と呼ばれる。
 「グリップ」。カーブを曲がるときに、ドリフトではなく普通のアウト・イン・アウト走法で走る走行のこと。ドリフト派よりもスピード、レース志向が強い。
 峠をステージとしないものには、「ゼロヨン」と呼ばれるレースがあり、これは同時スタートによる直線400メートル競争で、スピード追求、相手との競争が第一目的である。ドリフト/グリップ派は自分が走りを楽しむことを主眼としているが、ゼロヨンは相手との純粋なスピード競争である。
 さらに首都高速道路や湾岸を走る走り屋がいる。この場合も速さ、最高速度を競い合う。
 ドリフト/グリップ派の分類は、その人の主な走行の仕方による形式的な分類であって、それによる厳密な自己規定は行なわれていない。例えばグリップ派は絶対にドリフトをしないというわけではなく、むしろ、グリップもするしドリフトもするという人がほとんどである。インターネットの走り屋ページや雑誌に載っている自己紹介をみると、自分の走り方が「ドリフト」か「グリップ」かは大抵明記されているが、それらは「自分はどちらかというとドリフト/グリップ派」という程度のあいまいなレベルだろう。
 一般的に走り屋が使用する自動車の種類は、スカイライン、シルビア、スープラ、シビック(注1)などだ。ただし走り屋同士の会話や雑誌などでは自動車の種類ではなく、「ハチロク」「イチサン」「FC6」など、車体形式で呼ぶのが普通であり、例えば「ハチロク」は86年式を意味する。それぞれの走り方やステージにより、より適しているとされる車が分類される。
 峠を走る場合、車体と改造費を含めて最低でも百万以上はかかり、ゼロヨンや首都高のスピード競争の場合はそれ以上の費用がかかる。改造は、峠用だとまず足回りから始め、ゼロヨンや湾岸用だとやはりエンジンから始める。ただし、峠用とゼロヨン/湾岸用で車を使い分ける人は、経済的にも無理なのでほとんどいない。簡単な改造は、雑誌や仲間から学ぶなどして自ら行なうが、エンジンなど重要な部分の改造は主にショップに依頼して行なう。ショップはチームの拠点になっている場合もある。走り屋はチームを作ることが多い。
 走り屋へのきっかけは、

「先輩に誘われて観客として見ているうちに自分も走りたくなった」
「同級生がみんなやってるし」

 など様々であるが、基本的に周囲の人々や環境からの影響が大きい。


3.小説風描写、および詳細な記述

 週末、夜が深まると「山へ行こう」と一人の友人が言った。私は「また山か、他に行くところはないのか」と思う。私は自動車や自動車の運転が嫌いだ。自動車は自ら運転するものではなく、誰かに運転してもらって乗るものである。
 それでも友人たちに連れられ峠へ赴く。途中、ステージ近くのコンビニに立ち寄る。駐車場には走り屋仕様の改造車が所狭しと並んでいた。車に貼られた色とりどりのステッカーが夜燈に照らされ映えている。店内のトイレは順番待ちでなかなか空かない。
 エンジンの音が響く。同時にざわめきが聞こえる。「いい音だな」と誰かが呟く。駐車場の片隅に座って話している集団がいる。たぶん車の改造についてだろう。
 峠に着き、まず近くの空き地へ車を駐車した。もちろんそこにはレース参加の車や観客の乗ってきた車が並んでいる。
 私は耳をすます。キュルキュルというタイヤの鳴る音がステージから微かに聞こえてくる。「やってるよ」と友人が笑った。
 ここはとても静かだ。空を見上げると、星が降ってきそうなほど。
「いこうぜ。血が騒ぐ」
 友人が言い、私たちはレースを見るため、峠のステージへと車で向かった。峠のカーブには大抵わずかな、車一台分か二台分ほど駐車できるスペースがあり、観客はそこで車を降り、ドリフトを間近で見ることができる。
 ゴムの焦げる匂いがした。
 私たちのほかにも、カップルや仲間同士でレース観戦にきた人たちが、タイヤを焦がしてカーブを曲がっていく車を熱心に見つめている。二台の車が競い合いながら轟音とともにカーブを曲がる。しばらく待つと、次の二台が来る。道にはタイヤの轍が黒く筋になり染み込んでいる。観客たちが「お、ハチロクだ」「あれは○○のホイールだ」などと小さく呟く声が聞こえる。
 カーブを曲がりきれず、茂った木々に車が突っ込んだ。後からきた次の二台が異変に気付きスピードを緩める。やがて止まった車からドライバーが降り、突っ込んだ車に近付いた。どうやら彼らはチームの仲間同士らしい。怪我はなかったようだ。
 やがてまた次の車が目の前を猛スピードで走り抜ける。
 飽きることなく私たちはそれを見ていた。




3−1.チーム、およびメディア

   峠のステージにおける競争は「チーム」の仲間同士で行なわれることが多い。
 走り屋におけるチームは、暴走族におけるそれとは様相が異なっている。走り屋のチームは、例えば大学におけるサークルをイメージすると分かりやすい。(実際大学の自動車サークルがチームとなっている場合も多い。)
 チーム名は、暴走族が力や悪、グロテスク、高貴さなどをイメージした名付けをした(佐藤,1984)のに対し、走り屋のそれはほとんどが横文字であり、彼ら(注2)はそうすることにより現代的なお洒落さ、また暴走族との較差を演出しようとしている。
 チーム内において、またステージ全体においても、より長い期間走っている人が先輩とされる。そのような先輩からドリフトの仕方などを教わることも多い。先輩後輩関係は一応存在しているが、厳しいものではない。
 チームにはリーダーが存在し、ときたまリーダー争いのレースが行なわれることもある。また

「あそこのチームより速くなりたいってのはある」

 というライバル意識も存在する。
 成員構成は、高校からの先輩後輩関係、幼なじみの同級生、雑誌を使用した募集で集まった人々など様々である。
 走り屋の雑誌には「皆で楽しく走りましょう」といったチーム員募集のコーナーが必ずある。このように、「走り屋」という集団意識の成立のための触媒として、主に雑誌や漫画などのマスメディアが役立っている。走り屋を主人公として取り上げる走り屋雑誌 (例えば有名なのは『OPTION』など)が毎月多数発行されており、売り上げもかなりの部数である。また、青年マンガ雑誌においても、走り屋を主人公としたマンガが数多く連載されている。『ヤングマガジン』で連載中の『頭文字D』(注3)は1997年2月現在10巻まで刊行されており、その部数は数百万部である。
 それら諸メディアの影響によって、「自分は走り屋である」という自己規定が浸透し、走り屋現象が全国的に広がったといえる。


3−2.ステージ、およびその周辺

 走行の舞台である「ステージ」における秩序は、暗黙の了解により成立している。そのステージに合わない走り方や、周りを無視した独断的な走り方をしてステージの輪を乱す場合は、あおられたりして排除される。
 初顔は基本的に受け入れられるが、初めてのステージで走ろうとする場合、まず様子を見て、そのステージ固有のルールを学習せねばならない。
 例えばゼロヨンを行なう場合に必要な、ゴール地点で合図を出す人やスターターは、ローテーションによる順番制が自然に成立し、その合図の仕方もステージごとに決まっている。何回もそのステージに通うことで、その仕方を学習しなければならない。そうすることでステージに溶け込む。
 またステージごとの仕様もおおまかだが決まっている。

「このステージに、あんなでっかいホイールは場違いである」

 というふうに。しかし走り屋の社会においては速さが第一の価値基準である。たとえ場違いの仕様でも速ければ許される。「速ければいい」「うまけりゃいい」のである。(ここで自由主義的イデオロギーを思い起こすこともできる)。外見の様式美よりも、早く走ること、綺麗に上手に走ることによって回りの人々から一目置かれるようになり、そのステージで有名になる。
 また彼らは、ステージ近くの駐車場やコンビニ、ちょっとした空き地などにたまっている。そこで、互いに車についてのことで話しかけ顔見知りになる。また何回も顔を会わすことで、

「ああ、今日もきてるなって感じかな」

 という連帯感、仲間意識が生まれる。ただその仲間意識は、「皆で力を合わせて警察の妨害を防ごう」というレベルまでは達しない。連合して運動する集団ではない。峠以外で会うこともあまりない。
 峠のたまり場におけるコミュニケーションは車を媒介して行なわれる。例えば初めて話しはじめるきっかけは、車の修理のときライトを照らすのを互いに手伝い合うときなどだ。
 走り屋同士の会話内容は主に車の改造の仕方である。走り屋集団では「準拠集団のもつ視点を反省的(自己意識的)に採用することにより、成員の役割を取得し、自己の価値や意味付けの源泉とする」(片桐,1991,p.67)ことで、車をシンボルとした相互作用が行なわれる。車がシンボル化する過程においてはメディアが重要な役割を果たしているだろう。
 このような、集団内における相互作用の過程のなかで、彼らは様々な関係の在り方を学ぶ。


3−3.目的

 ステージで早く走る者は有名になっていくが、しかし彼らは、有名になることが最終目的ではないと言う。

「楽しみたい」
「自分の思ったとおりに車が動くことが快感」
「タイヤ鳴るのが楽しかった」 
「自由自在に車を操ること」

 運転技術が上達することで、「自動車からの情報を受け、自らの意志を自動車に伝えるという自動車と自分とのコミュニケーションによって、自分と自動車との分化が不明瞭」となり、「ドライビングに深く感動するという瞬間」(館内,1992,P.18)がおとずれるという。走り屋が味わい楽しんでいるのはこの瞬間であろう。ステージで有名人になるよりも、自分の走りを楽しむことが第一目的である。その結果として有名になるのである。
 彼らは個人的に走りを楽しみ、ストイックとも言えるほどにスピードを追求する。給料の約半分が車代に消費される。中途半端な態度を嫌う。例えば、走り屋から「なんちゃって仕様」と呼ばれる車がある。

「山とか真面目に走ったり行かないのに、走り屋みたいな改造してる車。腕がない。外見仕様」
「なんちゃって仕様はナンパ目当て。走り屋はナンパしない」

 また、純粋に走りを楽しむ一方で、走り屋は速度競争をも楽しむ。走り屋には「レーサー指向」タイプと「遊び重視」タイプが存在するが、ゼロヨンなどで速度競争を楽しむのはレーサー指向型の走り屋だろう。ただ、多かれ少なかれ走り屋はレーサー指向の要素を持っていることは重要である。(実際、走り屋からレーサーになる場合もある)。彼らは安全のために必ずシートベルトを着用するし、金と時間があればサーキットまで出かけ走ることもある。

「サーキットがただで走れれば毎晩行くし」

 金のかかるサーキットで毎晩走ることができないから、「仕方なく」公道で走るのである。暴走族と違い、走り屋にとって「暴走」は最も嫌われる行為である。

「なるべく一般の車には迷惑かけない。一応法律違反ってことは分かってるから」

 彼らは法的な規範を守ろうとする。公道でレースをするということに積極的な意味を見出だしてはいない。
 本気でレーサーを目指す以外のほとんどの走り屋にとって、走り屋活動は趣味であるから、交際相手の女性として走り屋を強く希望することもない。

「走り屋でなくてもいい。できれば車の好きな女の子がいいけど」

 彼らは結婚すると引退する傾向にある。もちろん暴走族における引退ほど明確な引退ではないのだが。

「経済面とか。結婚すると今までのように車に金かけられなくなるし。だいたいみんな23、4で引退」
「ドリフトとか一通りできるようになると、飽きちゃうから」

 しかし同時に「40歳になっても走ってると思う?」という質問に対して、

「やってる」
「たまに行くだろうね」

 と答える。ここから分かるのは、走り屋行為が日常と繋がっているということである。それゆえ将来は、

「できれば自動車整備士の仕事につきたい。自分で改造できて安上がりだから」

 自動車関係の仕事に就きたいという走り屋は多い。


3−4.暴走族との違い

「暴走族は一般に迷惑をかけるけど、おれらは近所に迷惑をかけるだけ」

 このような暴走族との差別意識は、雑誌などを見ても明瞭に存在する。例えば、インフォーマントの一人は、「ドリフト族」と呼ばれることを非常に嫌い、「ドリフト派」だと訂正した。笑いながら、「『族』じゃないよ」と。
 また例えば、ゼロヨンを行なう場合、そのステージに一般車が入りこまないよう細心の注意を配る。スタート地点とゴール地点で合図をしあって、一般車が来ないかどうかを確認する。一般車が来た場合には一般車を先に通行させ、それからレースを行なうようにする。危害を与えるなどして、レースのため強引に一般車を排除するような行為は殆ど行なわれない。雑誌においても「マナーを守ろう」としつこく強調される。あるステージにはゴミ拾いの係まで存在する。これは、徐々に警察による規制が激しくなってきていることが原因でもある。
 暴走族はマスコミなどのメディアにおいて、センセーショナルに報道され、その過程で、社会悪あるいはスケープゴートとされたが、走り屋は今のところ、そのようにヒステリックに取り上げられてはいない。それでも関東近辺の規制はかなり厳しくなってきている。
 暴走族と走り屋の違いのひとつは、走り屋は未成年者が少ないということだ。走り屋の多くは大学生や社会人であって、非行問題との絡みは少ない。 また、走り屋の舞台は主に住宅密集地から離れた山の中である。走り屋は暴走族のようには街へ出て暴走しない。その点で「他人に迷惑をかけなければ何をしてもよい」という道徳的(ある意味ファシスト的)なイデオロギーに走り屋は守られている。また彼らも自らの存在肯定として少なからずそれを盾としている。
 このように「反抗」の要素、対抗文化としての要素が薄いのは、暴走族が、「地域社会、学校、家庭という成人の担う社会組織によるコントロールのいずれからも自由な若者たちがタマリ場集団あるいはその延長である暴走族集団という形で自発的な集団」(佐藤,1984,p.68)として形成されたのに対して、走り屋集団は(自発的な集団であるという点では暴走族と同じだが)「成人の担う社会組織によるコントロール」から自由ではないからである。前述のように走り屋の多くは大学生と社会人である。大学生は大学及びそこから派生する、より良い就職願望に縛られているし、さらに大学生には、もはやガキっぽい反逆などできないという意識が存在するだろう。社会人はもちろん会社組織に縛られている。走り屋において、走ることは暴走族における暴走と異なりヘゲモニーへの挑戦ではない。


4.走り屋 vs.警察、つぶし屋、etc.

 ステージで楽しんでいると警察がパトカーでやってくることがある。

「逃げる。だっておれらのほうが速いもん、警察の車より。追いつけない。簡単に逃げ切れる。つかまえられないよ」

 しかし警察は、一斉検問を行なうことで走り屋を戒める。それにより走り屋は、「整備不良」などという名目で点数を引かれる。
 関東近辺での走り屋の取締は年々厳しくなってきており、安心して走れる場所はもうほとんどないという。
 ときには右翼が外宣車で出現することもある。走り屋は蜘の子を散らすように逃げる。
 また走り屋から「つぶし屋」と呼ばれ恐れられている存在がある。「つぶし屋」は主に暴力団のチンピラであり、非走り屋的高級車(例えばシーマ)でやってきて、金属バットやハンマーで脅すなど、走り屋に対する嫌がらせ行為を行なう。警察はつぶし屋の犯罪行為を取り締まらずに、ほとんど見逃しているという。

「(つぶし屋は)きりがない。おまわりは『話し合いで解決すればいい』って言うけど、絶対こっちが不利。車やられると困るし。『つぶし屋はひき殺してもいい』ってのならやるけど」

 雑誌の読者投稿欄でも、つぶし屋被害にあったというものが多い。
 『上毛新聞』1997年12月29日号には、「因縁つけ暴行」という大きな見出しで、つぶし屋の犯罪が報じられている。

 28日午前二時半ごろ、富士見村赤城山の県道前橋赤城線の通称「箕輪駐車場」で、二台の乗用車に乗った合わせて三人の男性が十人前後の男に囲まれて因縁をつけられ、二台の車のフロントガラスを鉄パイプや警防のような物で割られたほか、二人が頭などを殴られ一週間ほどのけがをした。犯人グループは男性一人が持っていた現金約三万円入りの財  布を脅し取って逃走した。(中略)週末になると同県道に多数のドリフト族などが訪れることから、こうしたグループの金目当ての犯行ではないかとみている。

 最後の書き方が曖昧なため、これでは走り屋が犯行を犯したようにもとれてしまう。しかし、三日後の同新聞では、「赤城山でまた恐喝」という見出しで、同一犯による同じような犯行が報じられており、そこでは「『お前ら走り屋か』などと因縁をつけられ」と書かれていることで、「つぶし屋」が「走り屋」を暴行・恐喝している事件だということが分かる。
 このように、走り屋に対するつぶし屋の犯罪は多いが、走り屋側は泣き寝入りの域を脱しない。連合して対抗運動をするほど走り屋同士の関係性は強くはない。
 1997年末は、その時期頻繁にテレビで放映される『犯罪列島24時』というような警察密着番組において、走り屋が取り上げられることがあった。そこでは「走り屋」は「ローリング族」と呼ばれ、また、いわゆるおばさんと呼ばれる人々が、走り屋のことを「ああいうことでしか自己表現できないのよ」と、哀れみをあらわに発言した。それに対しインフォーマントたちは反発を示す。

「『ローリング族』はやめてほしい」

「その言葉をそっくり返してやりたい。走り屋とちゃんと話してそういうことを言っているのか」
「奴らは人のことしか言えない」

 「自分たちは正常である」ということを一般的市民である視聴者が確認し満足するよう「暗闇」を取り上げるテレビ番組は多々ある。彼らはそれに反発している。走り屋という集団に関わることにより、彼らは自己を相対化するチャンスに恵まれたのだ。
 

5.消費と表現

 走り屋の改造は既成のパーツの組合せでしかないが、それでもある種の独創性が入りこむ余地はある。初めてインフォーマントの車に乗ったとき驚いたのは、エアコンの吹き出し口から、どこへ繋がっているのかもよく分からない電線がぐちゃぐちゃと絡み合って出てきていたことだ。これはオーディオマニアの配線の仕方を思わせた。
 確かに彼らは資本や権力のモードに捕われている。レッカー会社のステッカーを貼っておくとレッカー移動されないという噂が立ち、レッカー会社のステッカーが流行る。日産の車にトヨタのステッカーを貼ることは「格好悪い」とされる。
 消費社会においては「交換と関係の体系のなかで自己を意味として産出しなくてはならぬという切迫した状況のうち」(ボードリヤール,1982)に集団や個人はあり、その欲望は差異化のシステムに絡み捕られてしまう。また如何に個人が主体的に創造しようとも、それは、走り屋雑誌/ビデオという「文化産業」の包括のもとで「諸個人がイメージのなかで『商品』として再生産」されてしまう。走り屋がその表現の側から資本や権力のモードに対抗することは困難かもしれない。「表現(芸術・文化・美的実践)の側から解放を夢見るヴィジョンは破産した」が、しかし「美的解放と美的救済はむしろ資本や権力のシステムに内在する」(上野,1996)。それは例えばインターネットであり、実際、走り屋はインターネットを利用して情報交換を行なっている。しかし彼らのアイデンティティは走り屋だけにあるわけではなく、日常と走り屋部分に分割されている。暴走族と異なり、走り屋にとって、走り屋という集団はさまざまある準拠集団(例えば学校、会社)のうちの一つでしかない。それゆえ、連合した運動が成立しにくいのだ。だから警察やつぶし屋相手に集団として対抗することができない。
 暴走族は他者から「暴走族」と規定されたが、それを逆手にとり前面に押し出すことで対抗文化として成立した。対して走り屋は自らを価値中立的に「走り屋」と命名した。走り屋が中立として成立している限りは安全かもしれない。それでもいつ何のきっかけで社会から強力な隠蔽/排除の作用が起こるかは予測できない。そのとき、走り屋は集団として対応するのだろうか。それとも個々にちらばってしまうのだろうか。もちろん希望の光は前者にある。


6.終わりに

 浅田彰は中沢新一との対談において、「宮崎勤事件はもちろん、連合赤軍事件だってたんにくだらないと思う。落ちこぼれの馬鹿が誇大妄想にかられて暴走したら、ろくなことにならないというだけのことことでしょう。あんなものがその世代を代表しているとか、その世代の人間はそれを自分の問題として引き受けなければならないとか、そんなの冗談じゃないと思う。(略)社会問題ではあるかもしれないけれど、宗教や思想の問題ではない」(注4)と述べた。中沢新一擁護の文脈でなされただけの発言かもしれないが、これは理解できないものを簡単に切り捨ててしまう安易な態度である。
 私が社会学に惹かれたのはその「相対化」の魅力である。とりあえず相対化してから判断すること。もちろん絶対的な相対主義はありえないし、相対化の含む危険性や困難も承知している。しかしそれでも私は、社会から不当に見えなくされているものを、相対化し捉え直したいのだ。その手段として社会学はある。少なくとも自分は彼らと同じであること。彼らと彼らの中で出会わなければならないということ。いつでも彼らと交換可能な存在が私なのだということを自覚しなければならない。
 人はふつう「大抵お医者に苦痛の程度の判断は委ねている。自分の爪を見て自身の健康を判断するのもこれとさした甲乙はない。自身の爪を他人の顔を見る態度で見ているのだ。そしてそれが純粋の客観態度だと誇るのだ。苦痛に波立っている横隔膜の打鼓と共に波立ちゝ客観態度を確立して居らねばならぬ。客観は楽ではない。しかも学問もその道を探ることによって常に新しい道を進むのだ」(折口,1968)
 そのような仕方で私も進んでいきたいと思う。


(注)

(1)そのほかに、ローレル、インプレッサ、ランサーなど。

(2)もちろん走り屋には女性も多く存在するので、走り屋のことを「彼ら」というときは「彼/彼女ら」と同義とする。ちなみに走り屋の男女比は、ほぼ7:3ぐらいであろう。

(3)これらのマンガは、ほとんどの走り屋が読んでいると思われる。その人気の高さの例として、『頭文字D』の主人公が乗るハチロクの中古売値価格が、30万円から80万円へと跳ね上がったことが挙げられよう。しかし、ある走り屋によると「あれは半分事実で半分フィクション」である。「コースやステージは同じだけど、バトルの描写は漫画だね。あんな走り方、絶対できないよ」。

(4)浅田彰、中沢新一「オウムとは何だったのか」『諸君』8月号,文芸春秋,1995.



(参考文献)

イーグルトン,テリー,大橋洋一訳『イデオロギーとは何か』平凡社,1996.
上野俊哉「消費社会と表現文化」『岩波講座現代社会学21 デザイン・モード・ファッション』岩波書店,1996.
折口信夫『折口信夫全集』第31巻,中央公論社,1968.
片桐雅隆『変容する日常世界〜私化現象の社会学』世界思想社,1991.
佐藤郁哉『暴走族のエスノグラフィー〜モードの反乱と文化の呪縛』新曜社,1984.
―――『ヤンキー・暴走族・社会人〜逸脱的ライフスタイルの自然誌』新曜社,1985.
―――『フィールド・ワーク〜書をもって町へ出よう』新曜社,1992.
館内端『クルマ運転秘術 ドライビングと身体・感覚・宇宙』勁草書房,1992.
西澤晃彦『隠蔽された外部〜都市下層のエスノグラフィー』彩流社,1995.
ヘブディジ,ディック,山口淑子訳『サブカルチャー〜スタイルの意味するもの』未来社,1986.
ボードリヤール,ジャン,今村仁司・宇波彰・桜井哲夫訳『記号の経済学批判』法政大学出版局,1982.
吉見俊哉『メディア時代の文化社会学』新曜社,1994.
Zizek,Slavoj,The Sublime Object of Ideology,London,1989.
 


書きあげるのに一晩という、最悪なものです。間違いも多い。いかんなぁ。

皆巳正樹さんより次の指摘がありました。

「間違っているところがあったので伝えておきます。
『ハチロク』は『AE86』という形式番号の略で製造年ではないです。 それと、『FC6』と書いてましたが『FC3S』の間違いです。走り屋は車をすべて形式番号で呼ぶのでイチサン・ハチロク・サ ンニイなどというのは全てそうです。

なかなか良く書けていたと思いました。 ただ、走り屋で学ぶ事もあるって事が書かれてないことが唯一の不満でしょうか。
多分、フォーマントがまだそこまでの腕に達してなかったのかもしれませんね。」

ありがとうございました。